オリコンニュース
99歳のおばあちゃん、77年前のお見合い写真に「洋装着こなしてモデルのよう」「綺麗でチャーミング!」「面影ある!」
![]()
被爆者として戦後を生き抜いてきた99歳の、面影を感じるうら若きころ
「ちょうどAIを使って写真を動画にできるアプリが話題になっており、気になったので試してみようと思ったのがきっかけです。ちょっとした遊び心でした(笑)」
――動画の方は、久美子さんの伯父さまの奥さんである「スミコおばあさま」とのこと。どんな方なのかご紹介いただけますか。
「スミコおばさんは広島出身で、19歳の時に終戦を迎え、被爆者として戦後を生き抜いてきました。27歳で結婚し、子どもはいなかったものの、夫婦で常に犬を家族として迎えており、アルバムには愛犬たちとの思い出がたくさん残されています。認知症を発症したのは70代後半の頃。99歳になる現在は、施設でスタッフのみなさんに見守られながら、穏やかな時間を過ごしています」
「正確な年齢はわかりませんが、22〜23歳の頃だと思います。工場勤めをしていたと聞きました。自分ではおとなしく、はずかしがりやだったと言っていましたが、私が思うに芯の強い、しっかりとした女性だったのではと…。私が子どもの頃も、伯父さんの家に遊びに行くと、靴の揃え方からお箸の持ち方まで、スミコおばさんにしっかりと躾された記憶があります」
――確かに、お写真からも凛とした雰囲気を感じました。
「また、当時としては珍しく身長が160センチぐらいあったので、昔の写真を見ていると、スラリとモデルさんのように洋装を着こなしているのも印象的ですね」
初めての介護は不安だらけ…「介護保険は家族のため」という言葉が救いに
「はじめての認知症介護は本当に不安だらけで、ケアマネジャーさんやヘルパーさんに助けられながら、手探りで始めました。徘徊してご近所に謝りに行ったことや、ヘルパーさんが来てくださった時にネットカフェで少し眠らせてもらったこと…大変だったことはいくつでもあげられますが、今となっては懐かしい思い出です。ケアマネジャーさんが言ってくれた『介護保険は本人のためではなく、家族のためですよ』という言葉には、本当に心が救われましたね」
「心がけてきたことは、『この人は病気なんだから』といつも自分に言い聞かせることでした。血の繋がりがないからこそ、ひと呼吸置けたのかもしれません。実の親相手なら、私ももっと感情的になっていたのではと思います。とんちんかんなことを言われても、頭から否定せずに受け入れて、その状況をどう回避できるかを考えました」
――実際、どんなやり方を…?
「たとえば『洗濯物を畳みたい』と繰り返す時には、タオルをたくさん用意して、とにかく気が済むまで畳んでもらっていました。畳んでくれたあと『ありがとう』の言葉をかけると、とても嬉しそうな笑顔をみせるんです(笑)。そんなことを一日中していたこともありました」
日々、感謝の気持ちを忘れず、残された時間を大切に
「今、スミコおばさんは99歳。面会に行くたびに、眠っている時間が増えていますし、食事の量も少しずつ減っているようです。私たちのことも分からない状態ですが、それでも手を握ると安心してくれるように感じます。最期の時まで、そばに寄り添っていくこと。それが私たちの役目だと思っています」
――最後に、久美子さんがご自身のYouTubeチャンネル「すみちゃんねる~シニア夫婦~」(@sumi-ch)を通して、伝えたいことをお聞かせください。
「私の人生は、山あり谷ありの連続で…でもその都度、周りの方々に支えられ助けられて、ここまで歩んでくることができました。だからこそ日々、感謝の気持ちを忘れずに生きたいと思っています。残された時間を大切に、この『すみちゃんねる』を通して、たくさんの人と“日常の中にある小さな幸せ”を分かち合えたらうれしいです」