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サンリオが昭和・平成の百貨店“名物催事”を復活、デジタル世代の子どもにあえてアナログ体験「親子で訪れられる場所と思い出を」
1970年代〜2000年代、世の子どもたちを夢中にさせた百貨店の名物催事
この復活のニュースを受けて、ネットでは「子どもの頃、地元の百貨店に来てくれた」「おばあちゃんに連れていってもらった」など当時を懐かしむ声も。サンリオ執行役員の広木義直さんは、「覚えてくださっていてうれしいです」と微笑む。
「私も懐かしいですね。新入社員の頃は、毎年のように現場に駆り出されていました(笑)。今でこそ当社のキャラクターは幅広い世代に親しんでいただいていますが、当時は小さなお子さんが中心でした。『サンリオフェスティバル』はお子さんたちに日頃の感謝を込めて、『商品以外の形でキャラクターと触れ合ってほしい』『親子の思い出を作ってほしい』という思いから始めたものでした」(広木さん/以下同)
子ども向けイベントといえば、近年はショッピングモール等のイベントスペースで開催されることが多いが、昭和の時代にはそうした“場”がなく、大型イベントも百貨店の催事場で開催されることが多かった。
「何より、かつては『百貨店にお出かけする』ことがファミリーのレジャーの定番の1つでした。『サンリオフェスティバル』は収益目的のイベントではなかったのですが、百貨店さん側としてはファミリーの集客が見込める催事として重宝されていたんです」
子どもの「特別な場所」百貨店の減少、“サンリオ離れ”…2000年代に終了した背景
一方で、2000年代はキャラクタービジネスが“子ども向け商売”から幅広い世代へ広がった時代でもあった。中でもサンリオのハローキティやマイメロディは、ティーンから20代女性の間で大ブームを巻き起こす。ところが「実はこの頃、お子さんの“サンリオ離れ”が起きていました」と振り返る。
「2000年代の子ども向け市場で注目されたのが、ジュニアファッションでした。ポップなキャラクターがあしらわれた洋服が子どもたちに大人気となる一方で、サンリオのキャラクターが“子どもっぽい”と敬遠されるようになったんです」
近年、大人ターゲットのキャラクターが続々と登場しているのは、こうした背景もあるのかもしれない。もちろん少子化の影響もあるだろう。『サンリオフェスティバル』が2000年代に終了した理由には、こうした百貨店とサンリオの双方が直面した社会的背景があったようだ。