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大谷選手がつないだ命…心臓病と闘った“翔平ちゃん”、子どもたちを救うため母が願うこと「ドナー登録のイメージが変われば」

  • 翔平ちゃんのお見舞いに訪れた大谷選手

    翔平ちゃんのお見舞いに訪れた大谷選手

 重度の心臓病を持って生まれ、移植手術を待ちながら2歳を前に天国に旅立った川崎翔平ちゃん。闘病中には、今年メジャーリーグ史上に残る活躍を見せた大谷翔平選手が、お見舞いに訪れていた。たった一度の交流ながらその影響は大きく、翔平ちゃんへの募金は一気に目標額に到達。翔平ちゃんを救うことは叶わなかったものの、募金は同じく心臓病を患う二人の幼い少女のために使われ、その命をつなぐことになったという。翔平ちゃんのこと、大谷選手のこと、そして病気と闘う子どもたちのために――。翔平ちゃんの母・川崎静葉さんが伝えたいこととは?

残された道はアメリカでの心臓移植、翔平ちゃんと母の元に届いた知らせ

 翔平ちゃんは、生まれる前から心臓の動きが悪く「出産しても生きていけるかどうかわからない」と医師から宣告されるなか、2017年6月に誕生した男の子。両親は、「病気に負けず、大きな志を持ち、大きな心で育ち、大谷翔平選手のように世界を翔ける子になってほしい」という思いで“翔平”という名を授けた。そんな翔平ちゃんは、生まれたあとも拡張型心筋症という重度の心臓病と闘いながら必死に命を繋ごうとしていたが、内科的治療には限界があった。残された道は、アメリカでの心臓移植――。

 「しょうへいくんを救う会」が発足したのは、2018年9月だった。同会は、募金活動の傍ら、新聞社を通じて大谷選手にビデオレターを送り、翔平ちゃんのことを伝えた。ちょうど日本に帰国していた大谷選手からの返事は、「お見舞いに行きます」。年が明けた2019年1月5日、大谷翔平選手と翔平ちゃんは対面することとなった。

 大谷選手とのコンタクトを思いついたときは、「頑張ってね」というメッセージを一言送ってくれるだけでも家族の励みになると思っていたという翔平ちゃんの母・川崎静葉さん。

 「日本にいる時間も短く、とてもお忙しい方。スケジュールを調整するのも大変でしょうに、2018年12月に『会いに行きます』というお言葉をいただいたときは、まさかと思いました。実際お会いする日まで、『これは夢なんだ』と何度も思いました」

大谷選手のあたたかい抱っこ、大きな反響集めるも願いは叶わず…

 病室に現れた大谷選手は、190センチを超える大柄な男性だったが、「とにかく優しくて穏やかな雰囲気でした。私たちは本当に緊張していたのですが、すごく和やかなムードになり、そんなところにも大谷選手の人柄を感じました」と当時を振り返る。

 熱心に翔平ちゃんのことを尋ねてくれる気遣いを感じた静葉さんは、病気のために両親以外が抱くことが難しかった翔平ちゃんを「抱っこしてくれませんか」とお願いしたという。「大谷選手に抱っこされると、翔平がとてもリラックスした表情を浮かべているのがわかりました。大谷選手は緊張しながらも、しっかり抱っこしてくださって。とても可愛らしいというか、誠実な方だなと感じました」。

 翔平ちゃんの体力も考え、対面時間は1時間弱。そんななか静葉さんは「まさか自分の息子の名前の由来になった方と会えるなんて…。本当に幸せで恵まれたこと」と感激したという。

 スーパースターの訪問だけでも、大きな力を得ることができた翔平ちゃんとご両親。しかし、さらに大きなことを大谷選手はもたらしてくれた。このニュースは大きく報道され、思うように集まらなかった募金が、大谷選手の訪問後19日で目標金額に達したのだ。

 「本当に反響が大きかったです。街頭で募金をお願いしていても、とても多くの方に激励の声をかけていただきました。大谷選手のことはもちろんなのですが、『翔平くん頑張ってね』という声もいただき、本当に大きな力なんだなと実感しました」。

 募金も集まり、いざ渡米という段階になったが、翔平ちゃんの補助人工心臓を安定して動かせる電源を備えた飛行機が限られているということがネックになり、なかなか渡航が決まらなかった。そして、ついに翔平ちゃんの容態が急変。両親をはじめ、多くの人々の願いは届かず、翔平ちゃんはこの世を去ってしまった。2019年3月のことだった。

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