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“原因不明の3つの病”かかえた聖火ランナー、車椅子と自らの足で届けた「サポートへの恩返し」
体を起こしていられるのは1日20〜30分、なぜ聖火ランナーに?
現在も、20〜30分も体を起こしていると具合が悪くなり、限界を超えると失神してしまう。体中の痛みのために週2回40本もの痛み止めの麻酔注射をする日々を送っている。そんな闘病生活は想像を絶するほどつらいはずだが、話を聞かせてくれた本人は常に笑顔で前向きで、なにより現状を冷静に受け止める精神力に驚かされた。
「最初に体調が悪くなったのは16歳の春、原因がわからないまま痛みや体調不良で動けない日が続きました。だから、発症から1年半後に病名がわかったとき、普通は落ち込むと思うんですけど、嬉しかったんです。病名がわかれば対処ができるし、どうしたらもっと良くなるのかを考えることができるので悪いこととは捉えませんでした。塚本明里という私の身体に、病気が居候してきた。それなら、私がやりたいことがあるときは身体に我慢してもらうし、身体を休ませる日には私が我慢する。そんなふうに、うまく付き合っていけばいいのかなって」
その芯の強さの源は、彼女のなかで次から次へと浮かび上がる、“やりたいこと”への貪欲さだ。地元商店街のキャラクターの広報や大学のゲスト講師や病気の啓発をする患者会代表、そしてまちづくりの活動など、今の自分にできることを精力的に行っていく姿が認められ、今年の4月には東京五輪の聖火ランナーを務めた。
「病気になって、気持ちが下向きになっていた時期もありました。でも、できないことの数を数えるより、今できることの数を数えていこうと思ってからは、すごく前向きになりました。もともと子どもの頃から、やりたいことに貪欲なタイプではありました。病気になってからもそれは変わらない。聖火ランナーも、『周りのサポートを受けながらならできる!』と思えました」
車椅子、そして自らの足でトーチを運ぶ「サポートしてくれる人たちに恩返しができた」
「最初は自分にできることをしようという目標だったんですが、車椅子の私が出る以上、きちんとその想いを伝えなくちゃと思いました。車椅子は歩けない人だけでなく、病気などでいろんな人も使っているということを知ってもらいたい。私は周りの人の手を借りないと日常生活すら送れないけれど、見た目には障害があるとわからない人や病気の人でもサポートがあれば社会に参加できる人がいるんだということ。そういったことを知ってもらいたいという祈りを込めて、最後は歩いてゴールしました。実際、沿道で見ていた子どもたちが『あの人、立てるんだね』と疑問に思っていたようで、私の友だちが病気のことを説明してくれたそうです。そうやって病気を知ってもらう一歩になれたのが、すごく嬉しかったですね」
「本番当日までは、とにかくイメージトレーニングを重ねて(笑)。同じ重さの手作りトーチを持って、笑顔で手を振る練習をしましたが、やっぱりすごく緊張しました。これまでもいろんな人に支えてもらいながら活動をしてきましたが、五輪という世界的なことに参加できて、ようやくひとつ、サポートしてくれる人たちに恩返しができたかなと思っています」