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母の命日に未成年飲酒運転で半身不随に…自殺未遂を乗り越え、障害者YouTuberとして活動する理由
画像提供:ならちゃん
飲酒運転で脊椎損傷、絶望と孤独な日々の中で“人生を変えた出会い”
高校時代のならちゃん(画像提供:ならちゃん)
友人たちと(画像提供:ならちゃんさん)
【ならちゃん】17歳の時、バイクの二人乗りで飲酒運転をして、事故に遭いました。目がさめた時には集中治療室にいて、身体のあらゆるところに管が繋がれた状態でした。そこからリハビリ病棟にいくまでの3ヵ月の間に、怪我の合併症で肺炎になって、人工呼吸機に繋がれたこともありましたが、当時は深刻に受け止めていなくて、「長く入院しなきゃいけないんだろうな」とぼんやり思っていました。口からものが食べられないことって本当につらいんだなって(笑)。
――事故に遭った時は、バイトからの帰り道だったとか。
【ならちゃん】母を亡くしたことからの現実逃避もあって、その頃はバイトばかりしていたんです。お小遣いもなかったから、シンプルに自分のお金もほしかった。奇しくも事故を起こした日は、ちょうど母の命日でした…。
――お母様はならちゃんさんにとってどんな存在でしたか。
【ならちゃん】父は早いうちに離婚で家を出てしまっていたので、小さい頃から僕には母だけでした。甘えん坊な子どもだったように思います。姉と妹とも仲はよかったけれど、母は特別でした。
――脊椎損傷で、半身不随になったことが分かったときはどのような心境でしたか。
【ならちゃん】事故から4ヵ月、リハビリ病棟に移ることになった時に、主治医の先生から「もう歩けない」と言われました。確かに先生に足を触られても、感覚がない。これからリハビリ病棟に入るのに、もう一生歩けないというのなら、なんのためにリハビリをするんだよって。言いようのない怒りがこみ上げました。
当時は今後の生活なんて何も想像がつかなくて、リハビリが始まってからも、看護師さんやリハビリスタッフさんにたくさん八つ当たりしてしまいました。一方で、自分の生活もあるのに、身の回りをサポートしてくれている姉や妹には、申し訳なくてぶちまけられなかったのです。
――つらいリハビリや闘病中、ならちゃんさんにとって支えや救いになっていたものは何ですか。
【ならちゃん】ある日、他のリハビリ病院から自分と同じ脊椎障害がある人が転院してきたんです。かっこいい車椅子に乗っていた彼女は、僕にいろんなことを教えてくれました。「私がもといた病院には、ならちゃんと同じような障害を持っていても、ひとり暮らしをしている人も、自分でトイレにいける人もいる。車に乗って通勤する人もいるんだよ」と。
それまで、一生病院で、テレビとにらめっこするんだと思っていたのでそれはそれは衝撃でした。その後、彼女にリハビリ病院を紹介してもらうことに。そこでは、同じ障害を持つ歳の近い友人もできました。
今考えると、関わってくれた人々、病院がとても温かった。それが支えになっていたかもしれない。時にふざけ合ってくれたり、時に励ましてくれたり……変わらなきゃって、そうじゃなきゃ恥ずかしいなって思わせてくれたんです。
――リハビリから自立した生活まで、どのくらいの時間がかかりましたか。
【ならちゃん】約5年くらいでしょうか。最初の1年以降は、埼玉にある「国立リハビリセンター」にお世話になっていました。リハビリをしながら自立支援センターで、職業訓練としてパソコンの練習をしたり、就職支援を受けていました。いろんな人に支えられたおかげで、今はひとり暮らしをしながら、在宅ワークで事務職として働いています。
「誰かに必要されたい」切実な欲求がYouTubeをはじめたきっかけ
入院当時のならちゃん(画像提供:ならちゃん)
【ならちゃん】脊椎損傷者のトイレの大変さ、性欲についてなど、気になってもなかなか聞けないこと、言えないことも包み隠さず配信しています。自分自身、障害が理由で友人や社会に壁を作ってしまっている部分があったんです。どんなに仲のいい友人でも、遊んでいる時に排泄に対する不安を感じた時、自分からは言いづらいと思ってしまう。なので、こうして発信することで、周りに障害者がいる健常者の方の意識が変わったり、障害者自身が周りに相談しやすくなったりしたらいいなと思っています。
――未成年飲酒運転のことも脊椎損傷のことも、人に言いづらいことだったのではないかと思います。なぜ顔を出して世間に発信しようと思われたんですか。
【ならちゃん】長いリハビリ生活のあと、ひとり暮らしを始めたのですが、生活にハンデは多いし、自分の家庭を持ってきちんと子育てしている姉妹たちを見て、比べてしまう自分がいて。自分が存在する理由がわからなくなって、引きこもりになってしまいました。そのときに、誰かに必要とされたい、繋がりたい――すがるような気持ちでYouTubeやSNSを始めました。
そこからインターネットで人と関わっていくうちに「自分を変えたい」「誰かの役に立ちたい」という気持ちが強くなっていったんです。それなら今の自分を正直に話さなければと思い、公表することにしました。
――不安はありませんでしたか?
【ならちゃん】もちろん不安は大きかったです。批判的な言葉を覚悟していたので。でも、それ以上に飲酒運転に対する意識を変えたいという気持ちが大きかった。少しでも、誰かの意識が変わるきっかけになればいいなって。
そしたら、予想していたよりも前向きで温かいコメントが多くてびっくりしました。今はそういった方たちのコメントや応援が、生きる理由の一つにもなっています。
包丁で自殺未遂、周りの人たちの存在に「今は死ぬ時じゃないんだな」
車椅子バスケを楽しむならちゃんさん(画像提供:ならちゃんさん)
【ならちゃん】実は「このまま生きていても仕方がない」と強く思っていた時期に、自分から命を捨てようと思ったことがありました。
死のうと決めた夜、ベッドの上で自分に包丁を突き立てました。手にハンデを抱えている僕には、深く刺すことができなかった。そうこうしているうちに軽い切り傷が熱をもって全身がだるくなってしまい、その日は諦めました。
次の日、訪問看護に来てくれた看護師さんが、僕の異変を察してくれて。何を聞くわけでもなく温かいごはんを作ってくれたんです。それでなんとなく、死にたかったことを相談したんです。そのとき看護師さんに励まされて「ああ、今は死ぬ時じゃないんだな」と感じました。
今はYouTubeのおかげでより生きることに前向きになっています。応援してくれる人からの温かいコメント、障害を持つ方の家族の方からメッセージをいただくようになり、やっと自分の存在意義を感じるようになったんです。自分は一人じゃないんだと。
――今、幸せですか。
【ならちゃん】飲酒運転の事故で巻き込んでしまった被害者の方のことを考えると、今の自分が幸せと言ってしまうことはすごく失礼にあたるんじゃないかと思います。しかし、事故を通して、僕みたいな法に抵触してしまった人間を温かく包んでくれる人たちの存在に触れ、社会に貢献したいっていう思いが芽生えたことも事実。だからといって、それが幸せかと聞かれると考えてしまいます。
「生きること」って、難しいなって思うんです。みんなそれぞれいろんな事情があって、もがいたり、悩んだりしながら生きている人もいれば、諦めたようになんとなく生きている人もいる。でも、結局は自分次第なんです。仕方なく生きるのってつらいと思う。僕自身、死ねないから生かされていると思っている時がすごくつらかった。やりたいことをやっている人たちって楽しそうに見えるじゃないですか。僕もいつか死ぬ日まで自分ができることをやっていきたいって今は思えるんです。
――最後に、将来の夢を教えてください。
【ならちゃん】大きすぎる夢で、ちょっと恥ずかしいんですけど。ひとり暮らしってやっぱり寂しいし、障害者ってどうしても縛られた生活になっちゃうんですよ。そういう人たちが、高齢になるまで生きたいと思えるような交流の場をつくりたいんです。テーマパークみたいな、自由な福祉の場。自由な環境でそれぞれの趣味を見つけられたり、健常者の人も遊びに来られるような、そんな場所を作るのが、僕の将来の夢です。
(取材・文/ミクニシオリ)