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山崎育三郎の“核”を作ったミュージカル3作 「誰よりも『レ・ミゼラブル』が好きなだけだった」

すべての始まり。選ばれなかったら、違う人生だった――『レ・ミゼラブル』マリウス役

――これまで数多くのミュージカルに出演し、ミュージカル界に大きな貢献を果たしている山崎さんの“核”を作った3作品を教えてください。まず1作品目から。
『レ・ミゼラブル』ですね。最初に出会ったのは、子役のとき。「『レ・ミゼラブル』を聴いているとカッコいい」というイメージがあったので、子役はみんな聴いていたんです(笑)。当時、鹿賀丈史さんがジャン・バルジャンを演じているバージョンのCDが5000円くらいだったんですが、なんとか親にお願いして買ってもらいました。
『レ・ミゼラブル』
フランス文学の巨匠ヴィクトル・ユゴーが自身の体験を基に、19世紀初頭のフランスの動乱期を舞台に当時の社会情勢や民衆の生活を克明に描いた小説が原作。パンを盗んだ罪で19年間投獄されていたジャン・バルジャンは、仮出獄を言い渡される。世間の冷たさに心は荒み、銀の食器を盗んで逃げようとするが、司教に人としてのあり方を諭され、過去を捨て新しい人生を生きようと決める。1985年のロンドン初演を皮切りに、日本では1987年6月に帝国劇場で初演。全世界で興行収入記録を更新し続けるミュージカルの金字塔。

「Shows at Homeプロジェクト」としてミュージカル俳優が参加し配信された『民衆の歌』(『レ・ミゼラブル』より)

毎日CDを聴く中で、マリウスという役を知りました。僕が大好きなディズニー・アニメーションの『アラジン』でアラジンの声を担当していた石井一孝さんがマリウス役だったので、注目して聴いていくうちに「いつかマリウス役をやりたい」と中学生の頃から思うようになりました。

自分がマリウスをやりたい一心で、東京音楽大学1年生のとき、声楽科の仲間15人くらいを集めて『レ・ミゼラブル』の自主公演をやりました。仲間たちはオペラ歌手を目指していて『レ・ミゼラブル』を見たことがなく、知識があるのは僕だけだったので、配役や演出も担当して1年かけて稽古しました。衣装、大道具、小道具も全部手作りで、1人3万か5万円ずつ出して上演したんです。大学生にしては相当な金額ですよね。

その自主公演本番の直前、僕は帝国劇場の『レ・ミゼラブル』のオーディションに合格してマリウス役が決まりました。合格したことは解禁日まで誰にも言ってはいけないというルールがあるんですが、今まで1年間一緒に頑張ってきた仲間には言わずにはいられなくて。報告したらみんな、泣いて喜んでくれました。そのときの仲間は翌年、帝劇まで僕のマリウスを観にきてくれたんです。

――まさに、夢をかなえた瞬間ですね。
ミュージカル俳優にとっての『レ・ミゼラブル』は、歌手の方にとっての日本武道館公演やNHK紅白歌合戦のようなものです。だから、「いつか」という思いがありました。

『レ・ミゼラブル』は僕の子どもの頃からの夢であり、大人になってのデビュー作。21歳でマリウス役で出演したことは今思い返しても大きな出来事で、そこがすべての始まりですね。オーディションでマリウス役に選ばれなかったら、違う人生だったと思います。

――全キャストがオーディションで選ばれるのが『レ・ミゼラブル』ですが、当時のオーディションはどんなものだったのでしょうか?
書類審査から始まって、5次審査までありました。最終審査で、演出家のジョン・ケアードさんがロンドンからいらっしゃったんです。ジョンは『レ・ミゼラブル』のロンドン初演の演出をされて、作品の礎を築き上げた方です。ジョンの前で19歳の僕が歌えるという状況に震えるほど感動しました。

もともとは『カフェ・ソング』(マリウスが革命で散った仲間たちを思って歌う曲)だけを歌う予定だったんですが、ジョンが興味を持ってくれて「今から30分ほど時間をあげるから、別の曲の譜面を見て歌ってくれないか」と言われました。僕は『レ・ミゼラブル』オタクだったから、「譜面なんて要りません。今すぐ歌えます」と言って歌ったんです。「じゃあ次はこの曲」「次はこの曲」と続けて5曲ぐらい歌ったことが、マリウス役に選んでもらったことにつながったと思いますね。

――当時、オーディションを射止めるためにどんな努力をしていたのでしょうか。
いえ、努力はしていないです。好きなだけ。誰よりも『レ・ミゼラブル』が好きだというのは間違いなくて、「日本全国で僕より『レミゼ』が好きな人、出てこい! 絶対一人もいないだろう」と思っていた。受かった理由はそれだけです。努力とかじゃなくて、とにかく『レ・ミゼラブル』が好き。(上演時間の)3時間、一人で全曲、譜面を見ないで歌えますからね。歌いたいし、好きだし、やりたかった。それがジョンに伝わったんだと思います。

長年ファンだった方たちの前で歌うのがドキドキでした

――『レ・ミゼラブル』で山崎さんが演じたのは、貧しい人々のために革命を志す青年マリウス。バルジャンが養女として育てた娘コゼットと恋に落ちるという役どころです。山崎さんが初めて演じたときは、マリウスを演じる俳優として当時の世界最年少(21歳)で、これが大人の俳優としてのデビュー作となりました。実際演じてみていかがでしたか?
稽古場では緊張しましたね。ジャン・バルジャン役の山口祐一郎さん、今井清隆さん、別所哲也さん、橋本さとしさんをはじめ、自分が小さい頃から見ていたミュージカル界のスーパースターが並んで座っている目の前で、一人で歌わなければいけないんです。帝劇で初日を迎えるより緊張したかもしれない。プレッシャーというより、自分が長年ファンだった方たちの前で歌うのがドキドキでした。

マリウス役はクワトロキャストで、僕以外に3人が同じ役を演じるんです。自分以外みんな先輩で、そんな方たちと比べられる怖さがありましたが、そもそも俳優というのは人と比べられる仕事。今もそうですから、最初にそういう経験ができたことはよかったなと思いました。

それに、演出のジョンが「他のマリウス役の人の演技は見なくていい。自分と向き合いなさい」と言ってくれたんです。その言葉が今も心の中に残っていますね。

――現在の『レ・ミゼラブル』はローレンス・コナーさんとジェームズ・パウエルさんによる新演出版で上演していますが、山崎さんの中では、ジョン・ケアードさんとの出会いが大きいのですね。
ジョン・ケアードさんがいなかったら、今の自分はないです。僕はジョンが作った旧演出で育って、それに憧れて『レ・ミゼラブル』に入ったので。実際に稽古に入ってからも、ジョンは魔法のように導いてくれる。自分が迷っていても「こういうふうにやってごらん」という彼の一言一言で、「ああ、こんな感情が生まれるんだ」というところまで連れていってくれるんです。本当に尊敬していますし、ずっと一緒にお仕事したい方です。

――山崎さんにとって、『レ・ミゼラブル』という作品で魅力に感じるところは?
音楽にも惹きつけられますが、僕はジャン・バルジャンのように生きていきたいなと思います。ジャン・バルジャンが僕の人生の教科書。一言で言うと、すべてを受け入れる人。自分と向かい合って、他人を受け入れるんです。

若いときから、ジャン・バルジャン役の台詞をいろいろな俳優さんで聞いて、目の前で芝居を受けてきたので、それが今も耳に残っているのかもしれません。「バルジャンだったら、こういうときどうするんだろう」と考えるんです。

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