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“コミケの父”が残した理念 「多様性を求め、認めること」こそが“表現の自由”
研究や文化的活用が目的 14万冊の漫画資料を誇る「米沢嘉博記念図書館」
――「米沢嘉博記念図書館」創立の経緯を教えて下さい。
【三崎絵美】マンガ評論家、コミックマーケット準備会前代表の故・米沢嘉博氏が所有していた資料の寄贈を受け、2009年10月に開館しました。文化・産業・学術にまたがる多面的な重要性を帯びているマンガ、アニメなどの資料を保存、公開することで、研究や文化的活用のために広く資することを目指しています。
――「米沢嘉博記念図書館」にはどういった資料が所蔵されているのでしょうか?
【三崎絵美】マンガ単行本、マンガ雑誌のほか、アニメ誌、サブカルチャー(SF・映画・音楽)雑誌ほか、米沢嘉博氏が所有していた同人誌も所蔵しています。どの資料も求める人にとっては貴重でかけがえのないものですが、他の施設では所蔵されにくいという点で、同人誌即売会のカタログや同人誌が閲覧できるのは特に貴重な機会だと思います。
――米沢嘉博氏のご遺族から寄贈された資料は全部でどれくらいあるのでしょうか?
【三崎絵美】約14万冊です。開館当初は約7万冊を提供し、現在はおよそ10万冊を公開しています。
1975年に32サークルでスタートしたコミケ 現在は30,000サークルまで拡大
【三崎絵美】立ち上げから31年間コミケに携わり、拡大していくコミケの代表として立ち続けた一方で、マンガ評論家としても戦後マンガ史三部作と言われる著作を刊行するなど、広い視野でマンガを評しました。また日本マンガ学会の設立にも参画し、理事を務めました。
――米沢嘉博氏が、現在のコミケを形作ったと言えると思いますが。
【三崎絵美】今から15年前、2004年の夏コミ(C66)カタログの代表あいさつで、「コミケット(コミケ)は自由さと同時に、人や作品の多様性を求め、それを認めることから始まっています。他者が自分と同じであるはずはなく、だからこそ、言葉や作品はコミュニケーションたり得るのです」と書いています。「表現の可能性を拡げるための場である」ことや「全ての参加者の相互協力によって維持される場である」こと、「参加者にとって“ハレの日”である」ことなど、現在もコミケの理念として掲げられることを米沢氏も繰り返し書き残しています。
――来月「米沢嘉博記念図書館」で開催される『紙資料から見るコミックマーケット展(以下コミケ展)』について、お聞かせください。
【三崎絵美】開催初期の会場図や申込書などの紙資料を中心に、カタログの表紙原画やスタッフさんのマニュアルなど、普段はなかなか見られないような資料も展示します。
――『コミケ展』開催の目的は何ですか?
【三崎絵美】世界的に見ても大きなイベントとなったコミックマーケットですが、第1回は1975年に32サークルが参加して行われました。今度の夏コミ(コミケ96)では4日間で30,000サークル以上が参加します。残された紙の資料を見ると、それぞれの年代で実に細やかに、何度も試行錯誤してきた跡がうかがえます。コミケがなぜこんなにも大きく成長し、そして長く続けられるイベントとなったのか、その一端が紙資料から読み取れるのではないかと思っています。
――コミケの経済効果は180億円とも言われていますが、社会や文化に与える影響は、どのようなものがあると思いますか?
【三崎絵美】コミックマーケットがあることで、作品を誰かに読んでもらいたいと思う表現者の支えになり、また、それを楽しむ読み手の人がこんなにもたくさんいることも、“創作を楽しむ”という文化の広がりのひとつではないでしょうか。一方で、その規模の大きさ故に、すべてのサークルを見て回ることができにくくなっているのが難点かもしれません。
自分の作品が“負の感情”を与える可能性も 表現者に求められる自覚
――コミケの理念を形作った米澤嘉博氏は、コミケにおいてどういった人物でしたか?
【市川孝一】2代目の代表として、コミケットの今の理念の基礎を作った人物です。理想は高く、一方では現実主義的なところもありました。そうした“両輪”が今もコミケットをコミケットたらしめていると思います。
――コミケの理念は、「すべての表現者を受け入れ、継続することを目的とした表現の可能性を広げる為の“場”である」とありますが、“表現の自由”について、コミックマーケット準備会としては、どういう立場であるべきだとお考えですか?
【市川孝一】「コミックマーケットは、サークル参加者、一般参加者、スタッフ参加者、企業参加者等すべての参加者の相互協力によって運営される“場”であると自らを規定し、これを遵守する。コミックマーケットは、法令と最小限にとどめた運営ルールに違反しない限り、一人でも多くの参加者を受け入れる事を目標とする」としております。表現に対する受け止め方は人の数だけあり、各人が自分で表現に触れて、感想を形作っていくことは大切だと考えています。すべての表現は、受け手の感情を揺り動かすものであり、“正の感情”を生むものもあれば、“負の感情”の場合もあります。表現を行う人たちは、自分の表現がそうしたものであるという自覚が求められると思います。一方で、表現に対し“負の感情”を抱いた人が、批判の域を超えて脅迫や暴力等により、その表現を排除しようとすることはあってはならないと考えます。それは、他者が表現を受容して自分で考える機会を奪うことになってしまうからです。