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49歳で余命数ヵ月、息子から初めてもらったガンプラ“ジオング”で入賞「最後は妻への結婚記念日のプレゼントに」

 2021年に47歳という若さで腎臓がんと診断。昨年「もって来春(2023年)まで」と余命宣告を受けながらも、家族の協力も得て、趣味であるガンプラ制作に力を入れているモデラーのPajaさん(@paja7777)。前回、その病状や、子どもたちへの想い、ガンプラ制作への熱意の背景を聞いたが、今回は自身のモデラーとしての原点や、これまで制作してきた作品のなかで一番思い入れのある作品、そして仲間であるガンプラモデラーに伝えたいことなどを聞いた(後編/前編は1月12日公開済)。

子どもが大きくなり、マイホームに自分の部屋もできたのでガンプラ作りを再開

――そもそも、ご自身がプラモデルの魅力に目覚めたきっかけは?
paja小学生の時に母親が購入してくれたガンプラがきっかけです。当時、ガンプラブームで、プラモデル屋さんの飾り棚に優秀な作品が並んでいました。「いつの日か私も、こういう棚に飾ってもらっても恥ずかしくない作品を作りたい」と思い、制作をしていましたね。また、大人になってもプラモデル関連の仕事をしたいと決めていました。SEという職業についたのですが、人生の最後にはプラモデル関連の仕事をしたいずっと考えていました。

――その後、本格的にガンプラ制作を始めたのはいつ頃ですか?
paja21〜26歳頃、お金も時間も少しだけ余裕ができたので、エアブラシを導入してガンプラを制作し始めました。ところが次第に時間がなくなってしまい、パチ組ばかりに。その後、結婚して子どもができたのと、仕事も忙しくなってしまってプラモデル制作は一時中止。44歳のときにユニコーンガンダムを見てまた作りたいと思いました。子どもも大きくなり、自分の部屋があるマイホームを購入していたので、今まで作れなかった悔しさを晴らすように、再開することにしました。それ以降、17体制作しました。

――制作されたガンプラはそれぞれにさまざまな思い出があると思うのですが、なかでもお気に入りは?
pajaRGジオングです。実はこのキットには特別な思い出がありまして…。

息子からもらったジオングで親友との約束を達成、しかもそのコンテストで入賞

――特別な思い出?
pajaはい。ことの発端は、2022年のクリスマス、長男はクリスマスプレゼントに「枕が欲しい」と言ったので、枕をプレゼントしました。でも、長男の様子が何か変でした。暗い感じで。そこで長男に「どうしたの」と聞いたら「本当は、自転車が欲しい」と言いました。長男は、普段から我が家の経済的な面を気にして高価な物をおねだりしないのです。

――お父さんの病気のこと含めて、家の経済面を考え、我慢していた…。
paja当時乗っていた自転車は、小学4年生の時に購入したもの。中学2年の長男には小さく、本当は自転車が欲しかったと言ってきました。なのでその後、すぐにショップに行って自転車を購入しました。この時、長男が自分のお小遣いで、私のために「RGジオング」を買ってくれました。人生で初めて長男のお金から買ってもらったクリスマスプレゼントでした。

――そのジオングは、思い出深いですね。カスタムにも気合が入ったのではないですか?
pajaはい。大切な、大切な息子からもらったクリスマスプレゼントを最高の作品に仕上げようと、塗装、組み立て全てにおいて全力を出しました。研ぎ出しも慎重に行いました。工作は、胸部で干渉してしまう箇所があったのでそこを削っただけです。塗装に力を入れてRGジオング、一切調色しないで重ね塗りで発色させました。その後、研ぎ出しをして光沢をだしました。出来栄え、思い入れともに最高の作品です。

――素晴らしい作品に仕上がりましたね。
pajaありがとうございます。実はこの話には続きがあって…。

――続き?
pajaはい。Xで出会ったモデラーの親友と「いつの日か同じコンテストに出展しよう」と夢を語っていました。親友は1/144をベースに、私は1/100をベースに制作しているので、なかなか同じコンテストに出品できなかったんです。ところが2023年の夏、1/144のコンテストに出品できることになって、親友との夢が叶いました。しかも、このコンテスト(イエローサブマリン秋葉原本店 第4回 1/144 ガンプラコンテスト)で塗装賞を受賞しました。「夢はどんな状況・状態でも持っていい」を実現させたモビルスーツです。

現在ジオングは結婚記念日のプレゼントで妻の手に「言葉じゃ言い表せないほどうれしかった」

――すばらしいですね。親子の絆、親友との約束、コンテスト入賞、思い入れがある作品になるのもわかります。
pajaもうひとつ付け加えるとしたら、その後、この作品を妻にプレゼントしました。今、私から妻に贈れる贈り物がなにもないので、長男と話し合って結婚記念日のプレゼントに。

――奥さまは、そんな思い出の「ジオング」を贈られていかがでした?
paja妻とてもうれしかったです。この作品を制作中、途中経過を私に見せに来て、満面の笑みで「(親友でモデラーの)夢屋トイ太郎さん(@yumeya_toytaro)と同じコンテストに出展するから最高傑作にしないと」と言っていたことを、今でも忘れません。その後、(コンテストに)提出した時も、付き添いで一緒に行ったんですけど、その時の旦那(paja)の顔がとってもうれしそうで。がんが発覚して以来、初めてあんなうれしそうな顔見たことがなかったです。
 実は、この作品を提出した翌日、旦那は抗がん剤の副作用で緊急入院して、生きるか死ぬかという状態になってしまいました。退院後、旦那(paja)は、「(体調が悪くなって出展できなかったら)あの日、俺は一生後悔していたよ。出展できて本当によかった」と言っていました。
 旦那(paja)が持っているプラモデルの中で、長男から買ってもらったジオングは、一番大切なプラモデルだと思います。抗がん剤の副作用で体がつらい中、必死で作っていたことも知っていたので、そんな大切なかつ、一番の最高傑作をプレゼントしてくれたことは、言葉じゃ言い表せないほどうれしかったですね。
――ご自身はもちろん、親友・家族にとっても思い入れの深い作品なのですね。それにしても、paja家はガンプラに理解がある家庭ですね。モデラーさんを取材していると、「趣味=ガンプラ」のお父さんは、邪険にされている方もいらっしゃるので…。
pajaそれが、最初はここまで理解がなくて。キャンディ塗装を施したサザビーがあるんですけど、それは購入するところから苦労しました。。

――購入するところから?
pajaはい。当時妻は、プラモデル制作に反対だったので。スーツを買いに行くと言って出かけて、モビル“スーツ”を購入してきたと言いました。

――(爆笑)。一休さんみたいな、とんちのきいた話ですね。
paja妻は、当然激怒(苦笑)。でも、どうしても作りたかったので、すぐに(返品できないように)箱を開けて袋を破いてしまいました。結局作り始めたのはこの事件の数年後ですが、このサザビーも、秋葉原本店★ミントの第2回 1/100 ガンプラコンテストでペイント賞を受賞しました。

病に倒れても持ち続けるモデラーとしてのプライド「クオリティを下げず、自分の作風を崩さずに制作する」

――ガンプラを制作する際に常に心掛けていること、ご自身の信条をお教えください。
pajaたとえ病であってもクオリティを下げず、自分の作風を崩さずに制作することです。そして、楽しく作る。楽しく制作したプラモデルは、楽しんだ分作品の出来栄えもよくなると信じています。

――すばらしい心がけですね。先ほども「Xで出会った親友」とおっしゃっていましたが、ガンプラを通じて、さまざまなモデラーと交流されている様子が、Xなどでも伝わってきます。ご自身にとって仲間のモデラーとはどのような存在ですか?
pajaフォロワーの皆さんからは、治療に対しても、ガンプラ制作に対しても元気と勇気をいただいております。大切な存在です。また、皆さんの作品を見て、すごく参考にさせていただいています。また、モデラー仲間で先ほどお話した“親友”の夢屋トイ太郎さんからは「夢を追い続けよう」という言葉をいただきました。同じコンテストに出展するという夢はかなったのですが、また次の夢を追い続けるという思いでいただいた言葉です。

――熱く、固い絆ですね。では最後になりますが、ガンプラモデラーの皆さんになにか伝えたいことはございますか?
pajaがんは、早期発見、早期治療が望ましいです。がん検診ができるチャンスがあればぜひ受けてください。私はがん検診をしなかったことを、一生のうち一番後悔しています。今、闘病されている方、つらいこと多いかもしれませんがあきらめず、闘病していきましょう。つらいことだけじゃなく良いこともきっとあります。応援しています。
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