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“心の違和感”誰にも話せず60年… 67歳で男から女へ性別変更「打ち明けられずに生きてきた中高年はたくさんいる」
「生きていくのがイヤだった」幼少期から“違和感”抱えるも、男性として結婚・育児・離婚を経験
「私の場合は、『妹の服を着てみたりしていた』とか『女の子ばかりと遊んでいた』というような性別を意識した違和感を抱いた事はなく、ただ漠然と『生きていくのがイヤ』『生きていても楽しくない』というような感じでした。今であればネットなどを通じて同じ悩みを持った人に相談していたかもしれないですが、当時は周りにそんなことを相談できる人はいませんでした」
「LGBTQ+を対象としたダイニングバーに足を運ぶようになって当事者の方と知り合い、そこで実情や苦労話を聞くうちに、自分の性別違和に確信を持つようになりました。それからイベントなどにも参加するようになり、58歳の時に初めてプライドパレード『虹色どまんなかパレード』に参加した際には、”セクシュアルマイノリティと呼ばれる人たちがこんなにもいるんだ”と感動すると共に、とても居心地がよかったのを覚えています」
家族や職場からの拒絶を覚悟した“カミングアウト” 最後まで打ち明けられなかったのは、母親
「男性として生活していた頃から、女性として生活するようになる過程で、周りの人たちにどのように説明しようか、というのが一番悩んだ事です。最初の頃は出かける時も、ドアの向こうに誰もいない事を確かめてから外に出ていました。勇気を出して自分で運営しているパソコン教室の受講生の方々に『女性になります』と打ち明けた際には、温かく受け止めてくださる方が多く、『メイクを教えてあげる』って声をかけてくれた女性の受講生の方もいました。実際に職場にカミングアウトして、仕事を辞めざるを得なかった人もいる中、私はただ”ラッキーだった”の一言です」
「実家には母親が一人で暮らしていて、それまでは車の中で化粧を落として着替えてから実家に向かっていたのですが、打ち明けた時はそのまま女性の格好で行ったと記憶しています。母は反発することもなく、『好きなように生きればいいじゃない』と受け止めてくれましたね。息子ももう20歳を超えていたので、『お前なんか親じゃないわ』って拒絶されたら、その時は受け止めようと思って覚悟していました。普段会わない親戚関係の人には年賀状に事情を書いて、その頃の写真も印刷して送りました。反対されたという声も多く聞く中、私の場合は母、息子、親戚含め、否定的な事を言う人がほとんどいなかったので、自分は恵まれているなと思います」
コミュニティのほとんどが若者中心「中高年のカミングアウトはとてもハードルが高い」
「私は昭和20年代生まれですが、その頃は男女が結婚して、子どもを授かるのが幸せとされる時代だったんですよね。なので、性別違和を持っていても結婚して家庭を築いている人は私の周りにもたくさんいます。そういう人たちが今になってカミングアウトして、自認している性別として暮らすというのは、とてもハードルが高いと思います。今は当事者のコミュニティがたくさん出来ていますが、ほとんどが若者中心なので、中高年が参加できる場所が少ないんですよね。なので、そういう方が居心地良く集える場になればと思っています」
「『セクシュアルマイノリティについて知っていますか?』と質問すると、多くの方々が『理解しています』って回答するんですけど、実際に身内からカミングアウトされると拒絶してしまうというのは残念ながら良く聞く話なんです。自分と関係ない世界の話として理解している気になってしまうんですよね。テレビドラマや映画でも同性カップルやトランスジェンダーを描いたものが増えましたが、そういうことをメインテーマに挙げている作品が多いうちはまだまだです。普段テレビで放映されているドラマや映画の中で、主人公としてではなく、そこに描かれている日常生活の中に当たり前の存在としてセクシュアルマイノリティが登場するようにならないうちは、特別扱いされているように感じます。当たり前にあなたのそばにいるんだよと言うことを知ってもらいたいなと思います」
小嶋さんが主宰する中高年向けのLGBTQ+コミュニティ(外部サイト)