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伝説の“Tプロデューサー”こと土屋敏男氏に聞く『電波少年』復活と“天下を取る人”の条件
予測不能、予定調和のないコミュニティによって作られる『電波少年 W』
射場『電波少年』は空前絶後で屹立した存在。テレビの歴史を語る上で無視できないコンテンツだと思い、その語り部でもある土屋さんに声をかけさせていただきました。
土屋WOWOWさんから「うちで『電波少年』的な番組をやりませんか?」とお誘いを頂いた時は「いやぁ、またまた」と思いました(笑)。できる訳がないと思ったんです。ですがその後『WOWOWが目指す、次の時代の方向性はコミュニティです』と聞いた時に「それは面白い!」と脳内でいろんなものが結びつきました。
これまでも番組がコミュニティを作ることや、SNSのトレンドや「#」(ハッシュタグ)などを取り入れて番組作りすることもあった。だがWOWOWがやろうとしたのは「コミュニティで番組を作る」こと。番組サイトに独自のコニュニティを作り、ユーザーがそこにアカウントを作ってログイン。さまざまな意見交換などを行い、それを基に番組を制作していく。
土屋テレビというのはマスメディアの最たるものですから、基本的にはこちらが発信する一方向。例えば『半沢直樹』(TBS系)は高視聴率で3,000万人が観たということなので、テレビ1に対して3,000万。同時にYouTubeは元々発信側と受け取り側が1対1の関係。WOWOWさんがやろうとしているのは双方向であり、規模はその中間…ミディアムサイズで、そのサイズ感も初の試みで面白い。コミュニティでどういう意見が出るのかは、まったく予測不可能でどうなるか分からない。それが予定調和なく思いつきのアドリブでやってきた『電波少年』らしいと思い企画書を作成したのです。
かつてテレビがそうであったように“視聴者の欲望”が番組を作る
射場本来テレビは皆の欲望を吸収して返す存在でした。ですが今は仕組みの中でテレビが決まってしまっている…流れ作業のようになっているように感じていて、それをWOWOWで一度ロック解除してみようと。みんなの欲望で番組を作ったらどうなるのか。それこそ昔のテレビっぽく戻れるのではないか。そんな使命感があります。テレビって元々そういうものだったでしょ、と。
ユーザーが観たいと思っていた番組やシーンが局にないかもしれない。もしくは借りることが困難な状況かもしれない。提供できないとすれば次に何をするか。困難に当たりながら紆余曲折し、壁を迂回しながらどんな形でもいいから進めていって、ギリギリのところで目的地を見出す。そのコンセプトはまさに『電波少年』そのものだ。
土屋例えば、『電波少年』の「懸賞生活」のなすびが最初に「服を脱いで」と言われるシーンが忘れられない、とか。日本テレビだと映像を借りることはできるかもしれないけど、他局の番組だと借りにくいかもしれない。そうしたら、テープをどうやって入手するかの“やり口”がカギになる。クラウドファンディングで応援してくれる仲間を募るのか、あるいは、テレビ局のテープ保管庫にこっそり忍び込むのか(笑)。
射場どこから登れるか、ぐるぐる回って上っていって、どこまでもいくってところは電波少年なのかなと思います。諦めずに、道を探していくという感じですね。
『電波少年』=過激なものというイメージが先行しているだけに、今回もそこを期待する声は、放送前から多く寄せられている。
土屋番組は受け取る側のものだと思うので、そういうふうに受け取るのは別に構わないし、逆に『みんなそう思ってんだな、その期待に答えなきゃいけない』と思ったりはします。それも“双方向”だと思います。