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『めちゃイケ』『電波少年』を下支え アニメに頼らない“声優”木村匡也、ナレーターの矜持
地声は低めのダンディボイス 二枚目路線”でキャリアスタート
だが、インタビューの質問に真摯に答える木村氏の地声は、番組のテンションからは意外なほどダンディで落ち着いた低音。それもそのはず(!?)、そのキャリアは地元福岡の大学在学中の1989年、TOKYO FM主催のDJコンテストでグランプリを獲得したことから始まる。
「ちょうどJ−WAVEが開局して、英語混じりで曲紹介をする"FMっぽいディスクジョッキー"が注目を浴びていた時代でした。僕もたまたまアメリカの留学先でカレッジFMの運営に携わっていたりと多少英語ができたこともあって、アルバイト感覚でエントリーしたところ、あれよあれよと……」
やがてラジオのみならず、レコード会社の洋楽のCMやディスコの司会など仕事が引きもきらないようになり上京。そうした、いわば「カッコいい」「二枚目路線」の声の仕事をメインとしていた木村氏の転機となったのが、92年に始まった『進め!電波少年』(日本テレビ系)への抜擢だった。
「いわゆる“二の線”のカッコイイ仕事ばかりやっていた時期に、あるレコード会社に“レコード会社版のテリー伊藤さん”みたいな変わったことばかりやる方と出会いまして。その方が、『お前、かっこいいものばかり作っててもしょうがないだろ。「スネークマンショー」(1970年代後半に結成されたラジオDJユニット)みたいなことやるから、お前やってみろ』って言われて、デモテープを作ったんです。今では放送できないような内容で、その時も表に出なかったんですけど、そのテープが巡り巡って『電波少年』のスタッフに渡って『こいつ面白いんじゃないか』と思っていただけたようでオファーをいただきました」