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吉野家築地1号店が食通たちに愛されたワケ 「市場に育てられた」
食への強いこだわりを持った客の胃袋をつかんだ「築地1号店」
具材と白米を黄金バランスで盛った「並盛」に対し、つゆが多めの「ツユダク」や玉ねぎの割合を増やす「ネギダク」などは一部他店でも対応しているが、吉野家「築地1号店」はさらに細かいオーダーも可能となっている。
「タレや玉ねぎの量を減らす“ツユヌキ”“ネギヌキ”のほか、牛肉の脂身の量を増減させる“トロダク”“トロヌキ”に、ご飯少なめの“かるいの”などがあります。最もユニークなものは“ニクシタ”でしょうか」(吉野家広報)
客の細かなオーダーに応じるのは、マニュアル対応が基本のチェーン店としては異例のことだ。それには理由がある。日本最大の水産物卸売市場として知られる築地市場には、舌の肥えた人々が多い。そんな「食への強いこだわりを持った客」の要望に応えるため“特殊オーダー”は始まった。
震災、戦災からの再開 高級フードながら客足途切れず
その後、関東大震災(1923年)による魚市場の築地移転に伴い、吉野家も移転。東京大空襲(1945年)で店舗を焼失するも、戦後すぐに屋台で商売を始め、1947年に築地市場で店舗を再開する。これが、現在の吉野家「築地1号店」だ。屋号の「吉野家」は、築地店を再開させた初代社長の松田瑞穂が命名した。
「松田瑞穂が大阪の吉野町の出身であったことが由来と言われていますが、奈良の吉野の桜が好きだった松田栄吉が、吉野をとって吉野家という説もあります」(吉野家広報)
当時の牛丼は鰻重と並ぶ高級フードにも関わらず客足が絶えず、その味を求めて多くの客で賑わったという。そんな中、松田瑞穂は24時間営業という新たなスタイルを打ち出す。市場の朝は早い。一般的に早朝といわれる4〜6時の時間帯には、すでに人々がせわしなく行き交っている。作業は海産物が搬入される前日夜から始まっているのだ。市場関係者にとって24時間営業は、大きな喜びをもって歓迎されたことだろう。
「松田瑞穂は研究熱心でした。客数を増やすため、様々な試行錯誤をしていたと言われています」(前出・広報担当者)
「豊洲に移っても、市場関係者の皆様に美味しい牛丼を提供したい」
「1985年頃までは、酒のツマミとして、焼き豆腐なども出していました。牛丼に使用していた有田焼の丼は既製品だったため蓋が付いており、この蓋をお皿代わりにして、提供していました」(前出・広報担当者)
「吉野家は、築地の市場関係者の皆様に育てられました。豊洲に移っても、築地同様に市場関係者の皆様に美味しい牛丼を提供したいと考えております。吉野家「豊洲市場店」でも“うまい、やすい、はやい”を磨き続けます」
なお、吉野家「豊洲市場店」は11日から開店し吉野家「築地1号店」の名物“特殊オーダー”も引き継がれるという。