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『日高屋』会長、82歳になった今も現役バリバリで働き続ける理由「社員に億のリスクを背負わせるのはかわいそう」

 中華料理チェーン店『日高屋』などを展開するハイデイ日高は、1973年、埼玉県大宮にオープンした中華店『来々軒』を原点に誕生した。そこにたった1人で厨房に立ち、接客から出前まで全てこなしていたのが、現会長の神田正氏だ。それから半世紀もの間、バブル崩壊やコロナ禍、物価高騰も乗り越え、いまや『日高屋』の店舗数は400を超える。同社の経営は盤石のようにも見えるが、神田会長は今でも自ら現場に赴き、若い社員とともに汗を流す。82歳となった現在も第一線で働き続ける理由を聞いた。

“村一番の貧乏”が400店舗超の経営者に 日高屋が目指したのは「屋台の代わり」

 埼玉県の日高市に生まれ、自称「村一番の貧乏」な家庭で育ったという神田会長は、中学を卒業後、さまざまな職を転々としていた。しかし、「何をやってもつまんなかった」と振り返る。20歳を過ぎてもパチンコで暇をつぶす日々を送っていたところ、たまたま友人から紹介されたラーメン店との出会いが彼の人生を大きく動かした。

「餃子でもチャーハンでも、作るのはそんなに難しくなかったから、これならできると思ったんです(笑)。それで、ラーメン店を開こうと。もしあの時、お寿司屋さんを紹介してもらったら、お寿司屋になっていたかもしれない。本当にラーメン屋で生きて行こうっていう気はなかったんですよ。そんなこと言ったら、ラーメンの神様に怒られちゃうけどね(笑)」
 かくして1973年、「来々軒」を開店。当初は苦戦するも、深夜営業を機に店を軌道に乗せた。

「昼間なかなかお客さんが来なかったから、夜も開けたんですよ。当時はコンビニも深夜レストランもなくて、駅前の屋台しかなかった。そんな時に深夜営業していたら噂になって、お客さんが来てくれました。その頃は必死でしたよ。深夜2時くらいまで営業して、3〜4時間寝て、朝9時にはもう店を開けますから。最初は一人でやってたけど、途中から弟を呼んで2人で切り盛りしていました」
 当時、駅前には屋台があり、サラリーマンなど多くの人が集まっていた。しかし神田会長は「屋台はいずれなくなるから、そのお客を取り込もう」と見通し、駅前への出店を考えたという。現在にも続く日高屋の多くが駅前にあるのは、そんな理由があった。

「みんな屋台が無くなるのは分かっていたんだけど、屋台のお客さんはどこに行くんだろうと考え、実際に行動を起こしたのは私だけだった。世の中の流れを読むと言うとちょっと生意気になっちゃうけど(笑)。

 当時、銀行にお金を借りに行って『駅前に出店します』と言ったら、『これから車社会になるんですよ』なんて言われてね(笑)。でも結果的には、どこの駅前に出しても成功しました。そういった経験から、やっぱり世の中の流れをつかんでいくと、あんまり力仕事しなくても追い風が吹いてますからね。それに乗っかっていけばいいんだから」

新店舗の立地は今も会長が最終決定「いくらデータがあっても、最後に頼るのは“勘”」

 その後、幾度もの赤字、借金に見舞われながらも、持ち前の先見の明で時代の流れに乗りながら、着実に店舗数を伸ばし続けてきた日高屋。現在関東のみで400店舗以上を展開しているが、今でも新店舗の立地決めは、神田会長が最終決定を下しているという。

「1つ出店に失敗すると約1億の負債になるので、そんな大きな責任を一社員に背負わせるのはかわいそうですよ。年間に5,6店舗出してもし失敗すると、6億じゃない。すごいプレッシャーだし、その人会社に出づらくなっちゃうんだよね。その点、私は経営者だから(背負っても)大丈夫なんです。

 当然、専属のリサーチ部隊はいますが、候補となる物件は、全部私が直接見に行きます。年間で1000店舗くらい見て、決まるのは20店舗ぐらい。乗降客数とか客層とか、出店を決めるためのデータはありますが、最後に頼るのは”勘”ですね。『ここは売れる』って匂いみたいなものです」

 その勘は、50年間の経験で培われてきた賜物だ。経営において、攻めの姿勢は欠かせないが、そこには当然リスクが伴う。だからこそ、責任は自身で背負うスタンスを取っているのだ。

「創業時からこれまで600店舗以上出していますが、200店舗くらいは失敗しています。10店舗やって10店舗全部成功するようなやり方では会社は大きくならない。1,2店舗は失敗するぐらいでいいんです。スレスレの所を狙わないと、チャレンジができませんから」

会社が儲かったら、内部留保でなく社員に分けるのが最優先「成長したら還元、好循環」

 同社は、2020年2月期に売上高422億と過去最高を記録した。それを受け、「本当は80歳で引退しようと思っていた」という神田会長。しかし、直後のコロナ禍で減益してしまったことで、「これを元に戻さないと、次の人に悪いから」との思いで業績回復に注力。「それでV字回復したら、面白くなっちゃって(笑)」と今も会長職を続けている。

 20年前には約60億円だった株式の時価総額は、いまや約900億円と大きく拡大。以前は利益を内部留保(=社内に蓄えられる分)に回すことも多かったが、現在はなるべく社員に還元するようにしているという。

「私も30〜40代の頃は良い家に住みたいとか、良い車に乗りたいという私利私欲がありました。でも80歳を過ぎると、もう欲しいものもないですから。会社が成長して儲かったら、無償で株を社員に分け与えています。社員が頑張ったのだから、社員に分けるのが先だと思って。成長したら還元、好循環。これを”分かち合う資本主義”と言ってます。アメリカでは結構あるんですけど、日本ではあまりないですよね。そういう考え方の経営者がもっと増えれば、日本の経済ももっと良くなるんじゃないかな」
 取材中、終始チャーミングな笑顔を絶やさず、生き生きと話してくれた神田会長。最後に、元気の秘訣を教えてくれた。

「良く笑うことと、退屈しないこと。安定しちゃってあんまり考えなくなると、人間ダメなんですよ。だから、ピンチの時はいいんです。一番怖いのは、赤字にならないで何とかやっていけること。赤字になった方がいいんですよ。だって、赤字になると違うことやるしかないですから。私も、コロナ禍で月に3億の損失があったから、元気になった。毎日不安で寝れなかったですけど、これがなかったらもうおしまいでしたよ。悩みがないと人間つまんないですから。難しい仕事に挑戦し続けることが、長生きの秘訣だと思いますね」

 2020年の過去最高売上422億から、翌年コロナ禍の影響で295億まで落ち込んだ日高屋。しかし今年5月には最高月間売上を更新しており、2023年の売上は過去50年で歴代最高を記録する見込みだ。


(取材・文=水野幸則)

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