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「治療よりも子どもたちの運動会が見たかった」乳がんになった40代主婦が明かした告知後の生活と後悔

 日本人の2人に1人ががんに罹患すると言われ、がん治療の壮絶さを知っていても、「きっと自分は大丈夫」と、どこか他人事に感じている人も多いのではないだろうか。親や身近な親族にがん経験者がいなければ尚更だ。都内に住む主婦の杉原香苗さん(仮名・46歳)もその1人だった。仕事と子育てに追われる日々のなか、会社の健康診断で乳がんが見つかった。突然突きつけられた現実に向き合った時の後悔と、闘病について聞いた。

告知後にまず浮かんだのは、子どもたちのこと

 現在、中学3年生の息子さんと、小学2年生の娘さんを育てる杉原さん。乳がんが発覚したのは2年前の夏。1年に1度、定期的に受けていた会社の健康診断でのことだった。

 7月に再検査の結果が届くとすぐに、乳腺外来がある病院を受診した。その後、マンモグラフィーやエコー、MRIと何度にも分けて検査を繰り返し、最終的には生検(生体検査)後に乳がんの告知を受けた。

「生検することになった段階で覚悟はしていたのですが、いざ聞いたらやっぱりショックで。これまでに大きな病気もなく、体調不良などの自覚症状もまったくなかった。医師から今後の治療方法も説明していただきましたが、ほとんど頭に入らない状態でしたね。診察室を出た後、ポロポロと涙が出ました」
 診断結果は「浸潤性乳管がん」のステージ1。乳がん全体の15〜20%と言われるトリプルネガティブというタイプだった。「部分摘出」手術を行い、その後、抗がん剤治療に放射線治療と約1年をかけて治療。現在は3ヵ月に1度通院している。

 告知後に頭にまず浮かんだのは、家族のこと。手術をすればしばらくはこれまで通りの家事、育児ができないだろう。家事は夫に頼めても、子どもたちの運動会は絶対に出席したかった。

「告知されたのが9月だったので、翌月の運動会には出席したいと主治医の先生に伝えました。ステージ1で、2〜3ヵ月伸びても結果は変わらないので大丈夫と言ってもらえたので、手術は11月にしていただくことに決まりました」

 手術までの2ヵ月間、不安がなかったわけではない。進行してしまうかもしれない。それでも自身の身体よりも、子どもたちとの“今”が大事だったと振り返る。

本やウェブサイトで勉強「自分が今後どうなっていくのかを知りたかった」

 医師の言葉を信じ手術は2ヵ月後に決まった。その間に、乳がんについて学んだ。生存率や再発リスクといった病気のことよりも、術後や治療している間、自分がどういう状態になるのか、どれだけ家事や子どもたちのことができるのかが知りたかった。

「乳がんの知識が書いてある本はもちろん、乳がん患者の日記本なども読みましたね。術後の様子や、抗がん剤治療中にどれぐらい動けるかなど、体験談が参考になりました」

 家族へは、告知された当日に包み隠さず話をした。

「知り合いの中には、子どもに言わなかったという人もいました。でも私の場合は、再検査になった時から主人にも子どもたちにも伝えていて。告知をされた時も、帰ってすぐに“やっぱりママ、ダメだったー”と話してしまいました(笑)。詳しいことは分らないけど、子どもたちなりに“大丈夫だよ”って励ましてくれて、自分には隠すよりきちんと話す方が向いていたかなと思います」

高額療養制度でカバーされない治療代「がん保険に入っていなかったことを後悔した」が…

 がん発覚後、杉原さんが不安だったもう一つの要素は、やはり費用面。家族にも親族にもがん経験者がいなかったため、漠然と「自分は大丈夫だろう」と思い、がん保険には加入していなかった。

「最初は恥ずかしくて、友人にも相談できなかったんです。自分のことをちゃんと考えていなかったなと思い、とても後悔しましたね」

 医療機関や薬局の窓口で支払った金額がひと月の上限を超えた場合、超えた金額を支給してくれる“高額療養費制度”がある。このことから『がんになっても意外とお金はかからない』という人もいるが、「私の経験では、やはりお金はかかるなと感じました」と話す。

「私の場合、抗がん剤治療の際、抗がん剤以外に注射薬を毎回打っていました。予防接種と同じ感覚で、すぐ打ち終わる注射なのですが、保険が効いても1本2万円。これが自己負担になっていました」

 注射薬を打つ頻度は、2週間に1度や3週間に1度と、人によって異なる。1本の単価が高くても、高額医療費制度は月換算のため、打つ頻度によっては保障でカバーされないことになる。杉原さんのケースも、手術&入院費用は保障対象だったが、抗がん剤と注射薬の費用は月の上限に届かず自己負担となった。

 基本的に、がんになってしまってから入れる保険はほとんどない。あっても加入条件が厳しく(完治後5年など)、また保険料が高額になるなど、ハードルが高く加入できないのが現状だ。

「完治後5年というのは、かなり長いなと感じました。そもそも完治というのが、いつを指すのかが曖昧だなと。乳がんのタイプによっては、5年〜10年薬を飲むらしいので、そういう場合はどうなのかなと、分からないことが多かったです」

 家計が苦しいわけではなかったが、これから子どもたちの教育費もかかる。自身の治療費に使うのが心苦しかった。結果的に杉原さんは、手術後半年で入れるMICIN少額短期保険の保険を見つけて加入。万が一再発した時に保障してくれる保険に入れたことは、安心材料の一つになったと話す。

罹患後に変わった人生観「もし何かあった時のために、今できることはやっておく」

 抗がん剤治療はやはり辛かったと打ち明ける。健康診断後に仕事を辞めていたので治療に専念できたが、抜け落ちる髪を見ると“がん患者なんだ”と痛感したという。

「浴室の排水口にたまった髪を何も言わずに片付けてくれた主人には今でも感謝しています」

 治療を終えた今も、再発の不安は常につきまとう。

「再発はやっぱり怖いです。実際に5年、10年たって反対側に乳がんが再発したり、他の部位で見つかったという話も聞くので。毎回検診に行く時も緊張しますし、少しでもどこかが痛かったりすると、“再発したんじゃないかな?”って不安になります」

 そんな時、頼りにしているのが主治医だ。診断後、最初のハードルが病院選びだった。規模が大きくあらゆる治療ができる総合病院か、通院しやすい近くの病院か。悩んだ末、近くの病院を選んだ。今、通いやすくなんでも相談できる病院と医師は心強い支えとなっている。
  
 知人の中には、しこりに気づいていたけれど、コロナ禍で病院に行くのをためらい、発見が遅れたケースもあるそうだ。早期発見で治すためにも、気になることがあったら怖がらず、早めに受診してほしいと杉原さんは言う。

「乳がんは、早めに手術をすれば治る可能性も高いです。そういう意味では、心配しなくていいと思っていて。発見が早いことは大事なので、健康診断でプラスの料金がかかっても、マンモグラフィーやエコーで検査することをオススメしますね。自分の娘にも、きちんと検査するように伝えるつもりです」

 今、杉原さんが一番大事にしているのは、自分のやりたいことをやって、家族との時間をたくさん作ること。

「もし何かあった時のために、今できることはやっておく。上の子も中学生になったので、これからどんどんひとり立ちしていくと思うんです。だから、自分の時間もきちんと楽しみながら、子どもとの時間を作って、今を大切に生きていきたいですね」

(取材・文/辻内史佳)

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