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京都大学の“タテカン”問題、撤去は表現の規制に? 「自由な環境で、尊重を」学生の声
学生を表す鏡? 日々移り変わる立て看板の風景
京都大学で「立て看板」が禁止された結果生まれたやつ。 pic.twitter.com/d2Y0xDgtB9
? 京大職員同好会 (@kusyokuin) October 10, 2021
タテカンは大学に古くから伝わってきた“伝統文化”でもある。新入生の入学時期には新歓情報、学園祭では各イベントの情報、そしてウィットに富んだ主張まで、日々移り変わるタテカンの風景は“学生の活発さ”を表していた。現在はどう変化しているのか。
大きな分岐点は、SNSやインターネットが発達したこと。看板から情報を得ずとも困ることはなくなった。現在はコロナ禍でそもそも作り手の学生たちがキャンパスに集えない“制限された環境”がある。現役の学生たちにとってタテカンは、あってもなくても困らないものになりつつあるのかもしれない。
「学生たちが何かを描いて発信することが大事」京大学生の声
「立て看板は、学外の人に情報を伝える手段として有効。落語サークルのイベントが開催されるとき、地域のお年寄りはいまだに立て看板を見ていらっしゃる方も多いと聞く。デジタルがすべてアナログの代替になるわけではない。芸術と言ったら大げさだけど、学生たちが何かを描いて発信することが大事」(京大職員同好会の学生、以下同)
タテカンのなかには政治や宗教など思想が全面に出ているものもあり、それを初めて目にした時は威圧的な印象も。通過儀礼としての側面もあったかもしれないが、学生たちの自主独立の精神は時として過激すぎる方向にも行きかねない。
「確かに、学生は立て看板に興味がない人がほとんどなのかもしれません。でも僕は興味がないから『どうでもいいや』という話ではないと思っています。立て看板において表面化しているだけで、他のことでも規制が起こりうるかもしれない危惧はある。自由な文化が特色である京大では、他にも様々な学生文化がある。それらが自由な環境のなかで、ただ尊重され続けていってほしい」
規制に対しては賛否さまざまな意見がある。学生文化によって思い起こされる昭和の面影、活気みなぎる街としての表情は忘れられない魅力として現在まで伝わってきた。タテカンもそのひとつだ。今後どのような一途をたどるのか、見守っていきたい。
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