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ヒップホップの創世と発展に寄与した日本製レコードプレーヤーの功績 “鑑賞機材”を“楽器”に変えた50年間愛される名機とは?

Technics『SL』シリーズが備えた新たな機構が、ヒップホップの“遊び”を生み出した

 ヒップホップの歴史を創生までさかのぼってみると、その始まりは今から50年ほど前と言われている。1970年代当時、アメリカでは空前のディスコブームが訪れるが、多くの移民が住むニューヨークのブロンクス地区では、貧困からクラブに行くことができない若者が多かった。彼らは、そのエネルギーを公園などストリートにぶつけ、“ブロック・パーティー”と呼ばれるイベントを自主的に行うようになっていく。

 1973年、ニューヨーク・ブロンクスで行われていたブロック・パーティーで、DJのクール・ハークが、並べられていた2台のターンテーブルを操り、楽曲のブレイク部分を繋ぎ合わせる遊び始めた。今やヒップホップには欠かせない“ブレイクビーツ”の誕生が、ヒップホップカルチャーの幕を開けた。そしてこの瞬間、クール・ハークの手元を彩っていたのが、メイドインジャパンの名機・Technics(テクニクス)『SL-1100』だった。

 話を少し戻すが、アナログレコードやカセットテープが音楽メディアのメインだった1965年、Technicsは、旧松下電器産業(現パナソニック)の高級オーディオ機器ブランドとして誕生。スピーカーやアンプを発売する中、1970年に世に送り出したターンテーブルの第1号機『SP-10』が、世界に衝撃を与えた。

 当時、レコードプレーヤーの主流は、ターンテーブルとモーターをベルトで繋げたベルト・ドライブ方式。構造もシンプルでコストも安価でできる一方、モーターからベルト、ターンテーブルと順に力が伝わるため、スタートボタンを押してから立ち上がりまで数秒かかるという難点があった。

 一方、Technics『SP-10』は、モーター軸を直接ターンテーブルに繋げたダイレクト・ドライブ方式を世界で初めて採用。ベルト・ドライブ方式と違い、モーターとターンテーブルが直でつながっており、わずか0.5〜0.6秒で立ち上がり再生が可能。間を空けることなくすぐに曲がかけられるという利点は、すぐに世界中に拡散し、イギリスの国営放送BBCなど放送局で重宝がられることに。その後、1971年には新たなラインアップとしてターンテーブルシステムの『SL-1100』が投入された。

「ベルト・ドライブ方式だと、定速になるのに秒数がかかるために、曲の途中で繋いだり、スクラッチプレイをすることはできません。そもそも、そういう使い方をしたら、ベルトがすぐにダメになってしまいます。ダイレクト・ドライブという方式そのものがDJに合っていたのだと思います」(テクニクスブランド事業推進室 商品開発部 機構設計課 主幹技師 志波正之氏)

開発陣の想像を超えるユーザーの創意工夫がヒップホップカルチャーを育てた

 1972年、Technicsでは、『SL-1100』の普及モデルとしてよりコンパクトで手ごろな価格の『SL-1200』を発売。クール・ハークに影響を受けたDJたちの間で爆発的な人気を呼び、アメリカのディスコシーンに次々と採用されていく。だが、同機もあくまで家庭用の“鑑賞機材”として開発されたもの。大音量のスピーカーを前に使用されることは想定されていなかったため、現地のクラブでは驚きの使われ方をされていた。

「1975年にアメリカでリリースされた『Disco Gold』というレコードアルバムのジャケットに『SL-1200』使われているんですが、この写真、DJブースごとワイヤーで天井から吊るされているんです。『SL-1200』はあくまで家庭用のターンテーブルとして開発されたもので、大音量のディスコで使うことを想定していませんでしたから、振動によって針飛びを起こすので、当時のディスコでは天井から吊っていたそうです」(テクニクスブランド事業推進室 日本市場マネージャー 上松泰直氏)

 開発陣には思いも寄らない方向でDJたちの相棒として人気を博していった『SL-1200』。70年代後半には、レコードをこすって音を出す“スクラッチ”をグランド・ウィザード・セオドアが確立。ヒップホップ界の最重要人物のひとりであるグランドマスター・フラッシュがそれを広めるなど、ますます熱を帯びていくこの新しいムーブメント。その噂を聞きつけ、彼の地を訪れた開発陣も心を熱くしていった。

「そもそもレコードは手で触れるなと教えられていたし、針も高級品だからこするなんてもってのほかと考えられていた時代でしたから、アメリカで実際にDJのプレイを目にしたときは、信じられないし、意味がわからなかったらしいです(笑)。ただ、普通なら、驚いてそのまま帰国するだけなのでしょうが、もしかしたら、今後、この文化は世界的に広がっていくのではないかと開発者たちは考え、DJたちへのヒアリングを行ったそうです」(上松氏)

 1979年に発売された『SL-1200MK2』では、ディスコでの使用を前提に、暗い所でも扱いやすい針先照明や、BPMを調節するための縦型ピッチ・コントローラー、大音量でも針飛びが起きない衝撃を吸収するバネ式の足などを採用。その後も第一線で活躍しているDJたちにヒアリングし、音質やピッチコントロールの精度の改善など、時代と共に進化する技術を駆使し、アップデートを続けている。その一方で、ボタンの配置など、基本的なデザインは今に至るまでほとんど変えていないというが、これもまたDJたちの声によるものだという。

「DJの方々からボタンの位置や鋳物などの素材、基本的なデザインは一切変えないでほしい、変えたら買わないくらい全拒否されてきました(笑)。変えると扱いが変わるから受け入れられないと言うんです」(志波氏)

 『SL』シリーズが「“鑑賞するための機材”を“楽器”に変えた」と言われるゆえんは、クール・ハークをはじめとするユーザーの創意工夫により、DJパフォーマンスが磨かれたからこそ。開発者の想像を超え、さらにその要求に『SL』が応えた美しい“共犯関係”が成立したからこそ、ヒップホップは時代を超えて今なお愛されるカルチャーになっていったと言えるだろう。

ブームは、レコードが優秀なメディアであることの証明「音楽とじっくり向き合える」

 アメリカでの『SL-1200MK2』の大ヒットをよそに、1980年代の日本で、ヒップホップはまだまだニッチな世界。だが状況が一変したのは、クラブ・ムーブメントが加速した90年代のことだった。

「MK2を販売したときはDJの需要は5%程度でしたが、MK3を発売した89年以降、日本のクラブシーンが全盛になり、購入者はDJのほうが多くなりました」(上松氏)

 90年代といえば、82年に登場したCDによって、アナログレコードが消滅の危機にさらされた時代。ミリオンヒット、WミリオンのCD作品が次々と生まれるなか、ソフトが売れなければハードが売れないのは当たり前だが、そんな状況にもかかわらず『SL-1200』はピーク時に年間18万台もの販売を記録していたというから、日本のクラブシーンの盛り上がりが想像できることだろう。

 その後2000年代に入ると、リーマンショックなどによる部品調達の困難や会社としての『パナソニック』ブランドへの統一の動きなどを受けて、第6世代モデルとなる『SL-1200 MK6』を発売した2年後の2010年、生産終了。だが、国内外からの熱い要望があり、2016年に限定モデルが発売され、復活した。

「(2010年の)生産中止を告げるHPには、『これからも大事に使います』『またいつか必ず戻ってきてください』などの温かいコメントをたくさんいただきました。その後復活を望む声があがって、特にイスラエルのDJたちから署名をいただいたときは、市場性があるのかどうか大きな議論になりました。でも、ちょうど世界的にアナログレコードの人気復活の兆しが表れ始めているときだったので、当初予定になかったターンテーブルの復活に挑戦しようということになりました。でもまさか、今のように、ここまでアナログレコードの人気が高まるとは予想していませんでした」(上松氏)

 その言葉どおり、現在、人気がうなぎのぼりのアナログレコード。アメリカでは2020年にCDの売上を上回り、日本でも、この10年でその生産額は10倍以上に増加。アナログレコード専門店も相次いでオープンし、その全盛期を知らない若い世代からも人気を集めている。
 この人気を背景に、今年発売50周年を迎えた『SL-1200』は、この記念モデルをリリース。78回転モードや逆回転モードも搭載した『SL-1200MK7』をベースに、7色のボディカラーやシリアルNo.を刻印したプレートなどの特別仕様が注目を集め、発売を待ちわびていたDJたちがクラブユースにするのはもちろん、レコードに触れたことがあまりないような若い世代が一般観賞用に購入。かつてお父さん、お母さんが聴いていたというレコードを共有して一緒に聴くという“音楽の伝承”のようなことも行われているという。

「アナログレコードはカッティングするエンジニアやレコード盤の材質、針やカートリッジによっても音が変わるし、針を落として最初から聞くという行為は、デジタルと違って簡単ではない分、逆に、音楽とじっくり向き合えます。レコードが今、見直されて復活しているということは、それだけ優秀なメディアであることが証明されてきているということだと思うので、我々も、守るべきことは守り、新しく変えられるものは変えるいうスタンスで、アナログレコードを盛り上げていく活動をしていきたいと思います」(上松氏)

 ユーザーとの共犯関係が、機材を、カルチャーを大きく進化させてきたといえるTechnics『SL』シリーズ。さらにまだまだ、DJの技が増えるような“遊び”の提案はあるそうで、「まだまだやれることはあるし、まだまだ進化します」と志波氏は目を輝かす。今後も新たな音楽史を創っていくことを期待してもよさそうだ。

取材・文/河上いつ子

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