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そんな親、捨てていいよ…“毒親の捨て方”を指南する漫画が話題「親にいつか愛してもらえるというのは幻」

  • コミックエッセイ『そんな親、捨てていいよ。〜毒親サバイバーの脱出記録〜』

    コミックエッセイ『そんな親、捨てていいよ。〜毒親サバイバーの脱出記録〜』

 漫画家・尾添椿さんのコミックエッセイ『そんな親、捨てていいよ。〜毒親サバイバーの脱出記録〜』(KADOKAWA)が、話題になっている。これまでも「毒親」に関する著書を発売し、自らも分籍・住民票閲覧制限を行い「毒親」を捨てた経験を持つ彼女が、本作ではさまざまな毒親サバイバーたちに取材を敢行。毒親との絶縁の必要性や改めて気がついたこと、「毒親」が注目される一方で「親ガチャ」という言葉がひとり歩きする現状についても聞いた。

「毒親」だけでなく「毒きょうだい」も…“絶縁”は選択肢のひとつとして必要なこと

――本作を描いたきっかけを教えてください。

尾添椿さん 「毒親の捨て方に着目した本を作りたい」と編集の方が発案したことがきっかけです。単行本『こんな家族なら、いらない。』が出る直前に連絡をもらったこともあり、“毒”家族との距離の取り方や捨て方に着目して漫画を描くと、興味深い本ができるのではないかと。SNS上で“毒親”を捨てた人を募集し、担当編集さんと私の身近にいる“毒親”を捨てた人にも連絡をとり、そのなかで可能な方にインタビューし、漫画で描きました。

――本作では毒親サバイバーたちを取材していますが、改めて気づいたことはありますか?

尾添椿さん 取材した皆さんは、生きていくうちに大事なものを見つけることで、今は幸せに生きています。「プライドだけで生きている」「外面がとても良い」「自分と子どもの区別がついていない」「子どもを支配下に置く」など、毒親の生態が驚くほど似通っていました。生い立ちや親になるまでの経緯が違っても、孤独な人ほど毒親になりやすいと気づきました。

――共通してあがった声はありますか?

尾添椿さん 「学校に通い始めてから、親がおかしいと気づいた」「物心つくまで、親が暴力を振るい、放置することが当たり前だと思っていた」といった声がありました。社会に出て人と関わりを持つと、自分の置かれた状況や理不尽さに気づいてしまう。周囲と接していくうちに、自分の心をしっかりと持てるようになる、という話が共通していました。また、兄や姉、弟や妹が毒親の影響を強く受けて、「毒きょうだい」になってしまう。私はひとりっ子なので、それが興味深かったです。

――タイトルの「そんな親、捨てていいよ。」という言葉が印象的ですが、絶縁の必要性をどのように考えていますか?

尾添椿さん 進学、就職、結婚、離婚、出産などの局面で圧力をかけてくる親が常にいることで、気づかぬうちに毒親のループに巻き込まれている。そうなる前に、嫌だと思った家族関係からは距離を置き、必要であれば絶縁する。家族の在り方の選択肢のひとつとして絶対に必要なことだと思います。

「自分の親は毒親だ」と気づけた人は、人の痛みがわかる優しさがある

――尾添さん自らも分籍・住民票閲覧制限を行い「毒親」を捨てた経験を持ちます。いま言えることはありますか?

尾添椿さん 毒親はプライドが高く、子どものことよりも外からどう見られるかを気にします。自分たちを守る「いい家庭を築いている親」を崩された結果、自分たちの弱さと脆さが露呈することを、何よりも恐れています。子どもが決死の覚悟で逃げても、「子どもに去られた可哀想な親」をどうしていくのか、それしか考えていない。行動に移してしまえば、親からの脅威と恐怖から避けられます。

――親子だからこそ決断が難しい。絶縁に至るまでの葛藤や気持ちの置所を、どのようにして持っていったのか、ご自身の経験や取材での声を教えてください。

尾添椿さん 絶縁に至るまでの葛藤も、落としどころとしては「自分を大切にしてくれない人や、愛してくれない人を大事にする必要はない」ことに尽きます。その相手が親であるということは、人によっては想像を絶する苦しみです。けれど、生きていくうちに自分の道を見つけたり、一緒に生きていける人と出会えたりして、「大切にしてくれる人と関わろう」と気づいて毒親の元を去る人が多い、ということを取材を通して知りました。

――「毒親」とはどのように向き合ったら良いのでしょうか?

尾添椿さん 「自分の親は毒親だ」と気づけた人は、人の痛みがわかる優しさがあります。少なくとも、育てられている子どもが親に向き合う必要はないし、それが毒親であれば尚更です。親にいつか愛してもらえるのではないか…というのは幻であると、私と同じような経験をして気づく前に、自分の話を聞いてくれる人とだけ向き合ってほしいです。

――尾添さんは、自分の親が「毒親」だと気がついた時、どのように思いましたか?

尾添椿さん 毒親だと気づいたのは小学生の時でした。「この人たちも大変だったんだ…」と“親がこんな人になった理由”を探していました。「親なりに愛してくれているはず」と思えるように、必死だったことを覚えています。

「毒親」「親ガチャ」言葉が独り歩きも…当事者の声を聞くことが優先されるべきこと

――「毒親」という言葉がひとり歩きしているように感じますが?

尾添椿さん 言葉がひとり歩きするのは、その言葉を必要とする人が多いことだと感じています。「毒親」という言葉が広まれば広まるほど、「子どものためを思って」と誤魔化していたことが、明るみになる。虐待に関する厳しい処罰の基準が明確に設けられたのならば、毒親の基準も見えてくると思います。

――その一方で、流行語大賞にノミネートされるなど、「親ガチャ」という言葉が一般的になりました。「親ガチャ」という言葉が定着することに対して、どのように感じていますか?

尾添椿さん 「親ガチャ」という言葉が定着するほど、「子どもは親を選べない」ことに世間が気づいていると感じました。「殴られてないから大丈夫、衣食住は確保してくれたし、学校に通わせてくれた」だから「毒親」ではないと思っていたという話を、よく聞きます。子どもが親の無関心と虐待に気付くための言葉が、「親ガチャ」なのかな、と感じています。

――そうした言葉に世間的な認知と本質にズレを感じることはありますか?

尾添椿さん 自分の置かれている状況を悩んでいる時に、「毒親じゃん!」と笑い飛ばすだけで終わってはいけない。当事者が、毒親を軽視している場合もあると感じています。また世間的な認知の面では、周りの人が「それは親が酷い、あなたは悪くない」と言えるかどうかが、大事だと思います。他人事だと思う人に「理解しろ」と言うよりも先に、当事者の声を聞くことが優先されるべきこと。そして本質とのズレを感じた当事者が、声をあげていくしかないと思っています。

――「毒親」や「親ガチャ」という言葉が独り歩きしているようにも感じますが?

尾添椿さん 言葉というのは不思議で、独り歩きすればするほど、本来の意味を変えないように使う人が増えていくように感じます。軽い言葉として浸透してほしくない一方で、浸透することで「私の親はおかしい?」と気づく人が増えるきっかけになると思っています。

――漫画を通して読者に伝えたいこととは?

尾添椿さん 「言葉は通じても会話が通じない家族は、捨てたもの勝ち」と自分の経験を通して、いま言えます。「こんな親、本当にいるの?」と感じたら、その気持ちを大事にしてほしいです。また漫画を読んで、「あれ? うちの親と似ている!」と感じた人が、気づくきっかけや気持ちの折り合いに繋がったら漫画家冥利に尽きます。人と関わることの大事さを感じ取ってもらえたら嬉しいです。
コミックエッセイ『そんな親、捨てていいよ。〜毒親サバイバーの脱出記録〜』
【発売日】3月23日
【価格】1210円(本体1100円+税)

◆『そんな親、捨てていいよ。〜毒親サバイバーの脱出記録〜』オフィシャルサイト(外部サイト)
◆尾添椿さんのTwitter(外部サイト)

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