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永島優美アナ、プレッシャー乗り越え『めざまし』7年「毎日押しつぶされそうだった」

 3月で、7年間務めた『めざましテレビ』を卒業するフジテレビ・永島優美アナウンサー。昨年の『好きな女性アナウンサーランキング』(ORICON NEWS調べ)では入社7年目にして初ランクインし、12月にYouTubeで公開された「BTSのDynamiteを踊ってみた」動画は、580万再生を超える反響を呼んだ。同番組メインキャスターに抜擢された当初は大きな不安とプレッシャーを抱え、泣きながら帰る日もあったという永島アナ。いまや“フジテレビの顔”として幅広い世代からの人気を誇る彼女に、どのようにしてそのプレッシャーを乗り越えたのか、7年間の思い出とともに聞いた。

「自分らしさって何?」放送終わりは毎日加藤綾子に相談…

――“フジテレビの顔”ともいえる『めざましテレビ』のメインキャスターに決まった時は、どのような気持ちでしたか?

永島『めざましテレビ』は小学生の頃から観ていて、入社試験のエントリーシートにも「担当したい」と書いた番組でした。ずっと夢だったので、まさか入社して3年目で叶うとは思っていなくて。嬉しい反面、自分に務まるのかという不安とプレッシャーもかなり大きくて、当時は毎日押しつぶされそうでした。

――実際に担当されてみていかがでしたか?

永島想像していたよりもずっと、メインキャスターの席に着く責任の重さを感じました。自分があまりにもできなくて、思い悩みすぎて泣きながら帰る日もありましたね。でも、逃げてちゃダメ、明日は今日よりもできるように、と気持ちだけでも前向きにして毎日ただただ必死で臨んでいました。
――どういった部分に難しさを感じましたか?

永島それまでは情報キャスターとして自分のコーナーだけに集中していましたが、メインキャスターは番組全体を把握し進行していかなければなりません。自分のことだけではなく、他の出演者やスタッフなど、全体がきちんと見えていないと、独りよがりのコメントになってしまう難しさも感じました。

――悩まれた時は、どなたかに相談されていたのでしょうか?

永島前任の加藤(綾子)さんに、相談にのっていただいていました。入社当初から、放送終わりはほぼ毎日のように加藤さんのデスクに行く感じでしたね。加藤さんは、いろいろな方の相談役で(笑)。ご自身も忙しいのに私のことも気にかけてくれて、ずっと「自分らしくいるのが一番だよ」と声をかけていただいていました。

――“自分らしくいる”ことは、なかなか難しくもありますよね。

永島最初の頃は、自分らしさが何なのかが分からなくて。「永島のキャラが分からないから、どういじったらいいのかな?」とわざわざスタッフが聞きにきてくれたこともありました。確かにそれまでは失敗したら終わりと思っていて、毎日いかに滞りなく進行できるかだけを意識していました。自分をさらけ出して知ってもらうことが必要だったんだと気が付くまで時間がかかりましたね。

失敗すらも自分の個性に 救いとなった小田和正の一言とは

――かなり悩まれたのですね。

永島私から見た諸先輩方は、みなさん唯一無二のキャラクターを持っていて。だから、自分にはどういう個性があるのだろうという焦りはすごくありました。頑張って無理に自分を作ってみたりもしましたが、やっぱりしっくりこなくて。

――その焦りや葛藤は、どのように乗り越えていったのでしょうか?

永島悩んでいた時期に、小田和正さんにインタビューをさせていただく機会があって。その時に、「自分のキャラをどう作っていったらいいか分からなくて」と話したら、小田さんが「キャラっていうのは、自分が作るんじゃなくて周りが作ってくださるものだから、焦らなくていいんだよ」って言ってくださったんです。

――素敵なアドバイスですね。

永島その言葉がすごく印象的で、心が軽くなりました。あとは、2017年から毎年年末に「永島優美“迷”言集」というVTRを作っていただけたのも、一つのきっかけではあります。
――永島さんの1年の迷言を振り返るコーナーですよね。「待ってました!」「今年も最高、癒されました」と、毎年反響を呼んでいます。

永島初めて見た時は自分でも衝撃で、生放送でこんなにもたくさん失敗していることに絶望しました。大前提としてミスをしてはダメなので本当に反省しているのですが、スタッフや視聴者の皆さんが「おもしろかったよ」とか、「笑いました」って温かく声をかけてくれて。いい意味で肩の力が抜けたといいますか、ガチガチで遊びのきかなかった自分が、少し楽になれた瞬間でしたね。

「伝え手のプロでありたい」時代に流されない、王道貫くアナウンサーとしての矜持

――7年間ご一緒されてきた三宅(正治)キャスターの存在も大きかったのではないでしょうか。

永島そうですね。三宅さんは全てにおいてアドバイスするのではなく、背中で語る方なんです。もちろん聞いたことは全て教えてくれますし、何を言っても広い心で受けて止めて、本当に全てをフォローしてくれます。三宅さんはエンタメも大好きですし、毎日とても楽しそうなんですよね。楽しむ姿にパワーをもらっていますし、自分もそうありたいと思うようになりました。あとは、 “この話題でうまく話せるのはこの人”と、瞬時に見極めて話を振ることも、三宅さんの姿から学びました。

――番組のコンセプト通り、三宅キャスターとの父と娘のような関係も、視聴者を癒している要因の一つかと思います。

永島当初、私も「お父さんと娘のような設定」と伺っていたのですが、最近ではお父さんとお母さんのように(笑)。番組では私が女性アナウンサーの中で最年長で、後輩がたくさんいるので、お姉さんをすっ飛ばしてお母さんになってしまいました(笑)。三宅さんにも「お母さんなんだからみんなの話を聞いてあげて」って言われていて。そう思ってもらえるのは、すごく嬉しいですね(笑)。
――出演者のみなさんの仲の良さは、画面からも伝わってきます。

永島入った時から本当にファミリー感があって、悩んでいた時期も、スタジオに行きたくないと思ったことは一度もないんです。第二の家族のような存在なので、『めざましテレビ』にいると安心するんですよね。

――『めざましテレビ』は、2018年から民放同時間帯視聴率において3年連続1位をキープされています。メインキャスターとして、日頃から意識されていることはありますか?

永島自分の見られ方を気にするのではなくて、その場の空気作りを大切にしています。見られ方を気にしてしまうと背伸びした発言になる部分もありますし、その場が楽しく明るくなればいいなという気持ちで会話をしています。 “番組での見られ方”ではなく、“番組での在り方”というか。似ているようで、違うと思うんですよね。
――最近の女性アナウンサーは、女優業をされたり、バラエティーの印象が強い方もいらっしゃいますが、永島さんはアナウンサーの立ち位置をどのようにお考えですか?

永島女優業をきっかけに知ってもらえるのも一つのきっかけではあると思いますが、やはり私は大前提として伝え手のプロでありたいですね。アナウンサーが話すことで興味を持ってもらえたり、分かりやすく説明したりできるように、しっかりと言葉を紡げる人でありたいです。

――改めて『めざましテレビ』7年間を振り返ってみて、思うことはありますか?

永島毎日一つとして同じものはなくて、楽しいことも、胸が押しつぶされそうになることをお伝えする場面もたくさんありました。自分の人生を振り返った時に、忘れられないほど濃い時間を過ごさせてもらったと思っています。
――『めざましテレビ』最終出演日のわずか3日後の3月29日からは、『とくダネ!』の後継番組となる『めざまし8』のメインキャスターを担当されるんですよね。

永島正直プレッシャーはかなり感じていますが、今まで観てくださっていただいた方に引き続き楽しんでいただけるように、新しい番組を作っていけたらと思っています。ゼロからの挑戦なのでドキドキする部分も多いですが、『めざましテレビ』と同じ“めざまし”が番組名についているので、今度は私が新たなめざましを支えていけるように努力したいです。

――最後になりますが、今後目指したいアナウンサー像があれば教えていただけますでしょうか?

永島今年30歳を迎える節目の年なのですが、長い目で見た時に、いつかは本当の母にもなって(笑)、より大きな心とやさしさを持ったアナウンサーになれたらと思っています。
(取材・文=辻内史佳)

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