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『ガラスの仮面』の漫画家アシが語る当時の修羅場 徹夜続きで風呂にも入れず…それでも「悲壮感はなかった」

名作誕生の瞬間に立ち会える喜び しかし「修羅場を美化してはいけない」

──あのう、1週間お風呂に入れなかったといったエピソードは、実話なんですよね…?

笹生たまたま仕事が3日で終われば3日入らない、一週間なら一週間になるだけ。当時はそれが普通なので、気になりませんでした(笑)。ただ、圧倒的に女性が多かった少女漫画の現場でも、たまに男性もいるわけです。さすがに女性はそれぞれちゃんと着替えなどを用意していましたけど、よりによって男性が着替えを持ってきてなかったりして、別の意味の修羅感が出ちゃったり(笑)。でも着替えてもらうために帰宅する時間なんてありません。とにかく原稿が最優先で、そのためにみんな集まっているわけですから。

──お話を聞いていると、ちょっと文化祭の前夜的な、楽しそうな雰囲気も感じてしまうのですが…。

笹生いやいやあくまでシュラバはシュラバ、美化しちゃいけません(笑)。でも現場では確かに、悲壮感というのはあまりなかったかもしれませんね。よくこんなポーズ思いつくなあとか、こんな展開に?とか。すごい作品に触れているだけで、自分も引き上げられるという感覚もありました。こんなフワッとした指示でこんな立派な背景を描けた、という達成感も時々味わえたりしましたよ(笑)。

──素朴な疑問なのですが、そもそもスケジュール管理を徹底すれば、シュラバは発生しないのでは。

笹生言うは易しですよ。やはり基本的にみなさんギリギリまでネームを推敲して、そこに時間をかけるから、原稿作成そのものが遅れて、クオリティを確保するためにアシスタントが動員されるわけです。Twitterの投稿でびっくりしたのは「この時代の人はすごい、トーンも手で貼るのか」といったつぶやきがあったことです。当時は多種多様なトーンは存在しなくて、けっこうな面積を人力で、手で描いていたんですけど!と言いたいですね。そりゃ時間もかかりますし、シュラバにもなります。

 ですが、同じくTwitter投稿で、この漫画に登場する先生方の作品を読んだことがなく、ちょっと読んでみたくなった、という声がいくつもあって、それはとっても嬉しかった。すごい先生方ばかりですし、もしこの作品が簡易ブックガイドになっているとしたら、光栄だと心から思います。

──70年代は、雑誌も次々に創刊され、少女漫画の領域もどんどん拡大していった時代です。間近でご覧になって、どんなお気持ちだったのでしょうか。

笹生美内すずえ先生の圧倒的なパワーにも刺激をいただきましたし、樹村みのり先生、三原順先生、山岸凉子先生など、それまで当たり前だとされていた少女漫画の不文律みたいなものをどんどん打ち破って、素晴らしい作品を生み出されていく姿には、とても励まされました。本作で描きたかったエピソードはまだまだたくさんあったんですけど、これでも削りまくっているんです。

 くらもちふさこ先生の場合は、楽器などの資料も入手しづらい時代だったのに、楽器店のカタログなどから資料を用意して、少女漫画でもきちんと正確に描くんだ、といった努力を徹底されていました。70年代は、花の24年組と呼ばれる先生方が少女漫画の改革をした時代ですが、60年代に水野英子先生がされた改革も、忘れてはいけないことです。当然だと思っていることが、実はそうではないかもしれない。そう考えることが可能になるような、自由な視点を少女漫画の先生方からいただけた。それは、今も大きな財産だと思っています。
(文/及川望)
笹生那実(さそう・なみ)
1955年生まれ。73年『風に逢った日』で別冊マーガレット誌にてデビュー(笹尾なおこ名義)。その後、笹生那実、またはさそうなみとペンネームを変更し、数々の伝説的な少女漫画家のアシスタントを務めつつ、自身も漫画家として活躍。32歳で商業出版から引退。交流のあった漫画家・三原順作品の主要作品(『はみだしっ子』を除く)の絶版が続いていた97年頃より、復刊を求める一環として同人活動を本格スタート。三原順全作品の文庫化や画集刊行、原画展開催に繋がる。現在は「ひつじ座」名義でコミティアに、「三原順ファンPARTY」名義でコミケに参加。『薔薇はシュラバで生まれる─70年代少女漫画アシスタント奮闘記─』は32年ぶりの描き下ろし商業作品。

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