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銀座の美人チーママが30代で男性になったワケ「億単位の借金を抱え性適合手術を決意」

 LGBTへの理解が深まりつつある近年、テレビをはじめとするメディアでもトランスジェンダータレントを目にする機会が多くなっている。ところが、その多くは“元男性の女性”たちだ。そこで今回は“元女性の男性”にインタビュー。横浜のニューハーフクラブ「アドレナリン」を経営し“関内のオナベの母”と呼ばれる新井紳ノ丈さんに話しを聞いた。美人チーママとして名をはせた彼女が男性として生きる決意をした理由とは?

30代後半で事業に失敗。どうせ死ぬならその前に、身も心も男性として生きてみたかった

  • 銀座チーママ時代の新井さん。本人提供。

    銀座チーママ時代の新井さん。本人提供。

――男性にしか見えない新井さんですが、30代半ばまでは“女性”としてクラブで働かれていたとうかがいました。

【新井さん】 銀座にあるクラブのオーナーチーママだったんですが、経営がうまくいかなくなってしまって。共同オーナーだったママにも逃げられて、億単位の借金をひとりで抱えこむことになり、『もう自殺するしかないかな』と。そんなとき、友人達から『自殺するくらいなら、自分の好きなことをしてからに死にな』と言われて。それまで私は、ずっと心の性別を隠して、女性として生きてきたので、どうせ死ぬなら、その前に男性として生きてみたいと思ったんです。

――男性として生きていくことを決めてから、どんなアクションを?

【新井さん】 銀座のお店をたたんでから、まず、婦人科でホルモン注射を打ち始めて。それから知人が紹介してくれた(東京・新宿)歌舞伎町にあるオナベのホストクラブの面接を受けに行ったんです。オナベのホストが100人くらいいる店だったんですが、入店早々、銀座時代のホステスさん達が、自分のお客さんを連れて飲みにきてくれたおかげで、すぐにナンバー2からナンバー5を行ったりきたりできるようになって。これなら、借金を返しながらでも、なんとか生きていけそうだなと、最悪の考えを捨てることができたんです。以来、紆余曲折ありましたが、いろいろな人に助けながら必死に生きて、借金も数年前に完済することができました。

――男性ホルモンを注射するようになって、外見にはどんな変化が?

【新井さん】 すぐに髭が生え始めて、(骨格も)ゴツゴツしてきて、自分でも驚くくらい、いっきに別人になりましたね。でも、胸はそのまま。もともとそんなに大きくなかったので(笑)、サラシをぎゅーっと巻いて潰すだけでOKだったんです。福岡の病院でおっぱいを取る手術をしたのはホストクラブで働くようになってからでした。6時間以上かかりましたね。

――銀座時代のお写真を拝見すると驚くほどの美女なので、よく決断できたな…と思いました。

【新井さん】 (ホルモン注射を受けた)婦人科の先生にも「やめたほうがいい」って散々言われたんですけど、私の意思は固くて。2回続けて断られて、3回目にやっと注射してもらえたんです。その後、39歳のときに台湾に行き、性適合手術を受けて完全に「変身」しました。

小さいころは自分は男だと思っていた

  • 男性になったばかりの新井さん。本人提供。

    男性になったばかりの新井さん。本人提供。

――新井さんがご自分の心と体の性別が異なることに気づいたのはいつごろでしたか?

【新井さん】 幼稚園の年中ごろには分かってましたね。それまでずっと、私は自分が男だと思っていたので、幼稚園でも当たり前のように男の子のほうに行くんです。でも、そのたび、先生から「あなたは男の子じゃなくて女の子なの。大人になったら、あなたはお母さんと同じふうになるんですよ」って説明されて。私は、大人になったら父親みたいになると思っていたから、自分が男じゃなく女という枠に入るんだと理解したときは、口もきけないくらいのショックを受けたんです。それからはすべてがつまらなくなり、幼稚園でもずっと、ふてくされてました。

――ご両親はまったく気づいていらっしゃらなかったんでしょうか?
【新井さん】 私から話したこともあったけど、昭和ヒトケタ生まれの親にはまったく信用されませんでした。とくに、東京下町で美容師をしていた父親は「そうかそうか、おまえは男っぽい女なんだな。男が嫌いなら、お嫁に行かないで良かったじゃないか。あっはっは!」みたいな感じでしたね。そんな父親と、元ミス長野だった母親の元に生まれた私は、ふたりの可愛い“娘”として、幼いころから芸能事務所で子どもモデルの仕事までしていたんです。

――性同一性障害が当たり前のように認知され、理解も広がっている今と違って、当時はほとんど知られていませんでしたから、親御さんの対応も、当たり前と言えば当たり前だったのかもしれませんね。

【新井さん】 そうですね。当時は私自身、自分だけ頭がおかしいと思ってたくらいですから。でも、高校生くらいになると世の中にはオカマとかオナベと言われる人達がいるというのが、なんとなく分かってきて。ただ、当時のオナベさんは、短髪でパンチパーマの女の人がスーツ着て、ネクタイ締めてるという程度。ちゃんとした男性に見える方はまだいなかったです。

――高校卒業後、大学に進学されて教員免許を取得されたにも関わらず、水商売の世界に入られたそうですね。

【新井さん】 実は、10代のころから親には喫茶店でアルバイトしてるって言って、こっそり水商売のバイトをしてたんです。家が厳しくて、キレイなお洋服や習い事、家庭教師代などの費用ならいくらでも出してくれたんですけど、遊びにに使うお金は一切もらえず「ほしいなら働け、バイトしろ」って言われてたので。

――モデルも水商売も、ご自身が違和感を感じている女性性をあえて全面に押し出すようなお仕事ですが…。

【新井さん】 お金のためと、小さいときからモデルの仕事をやっていたおかげで、ある意味、手慣れていたというか。やったことないようなことをやるほうがイヤだったし、幼稚園時代から自分の中でプライベートの顔と外の顔を使い分けていたからこそ、仕事として割りきることができたんじゃないかなと思います。

親戚と家族の大反対を押し切って治療を開始

――男性として生きることをご両親にカミングアウトしたのは、どのタイミングだったんでしょうか?

【新井さん】 父が亡くなってずいぶん経ってからです。銀座のお店をたたんで、男性になって歌舞伎町のお店で働くって言ったら、親戚一同、家族一同、大反対。だけど私は「借金だらけで今住んでるマンションも車も売らなきゃいけないし、もう無理だよ」って。それで周りが「困ったわね、困ったわね」って言ってるうちに、かってに“変身”しちゃいました(笑)。

―― “変身”後の、ご家族の反応はいかがでしたか?

【新井さん】 母もふたりの弟も「やってしまったものはしょうがない」と思ったみたいです。その代わり「性適合手術の費用はすべて自分で捻出しなさい」って言われました。すぐ下の弟は、カリスマ美容師として大金持ちになっていたんですけど、1円たりとも貸してくれなかったですね(笑)。

――ご家族にしてみれば、30数年間、娘として、姉として接してきたわけですから。すべてを受け入れるには、少し時間が必要だったのかもしれませんね。

【新井さん】 そうかもしれません。そういえばこの前、カリスマ美容師の弟が「この前『ボヘミアンラプソディー』っていう映画を見たんだけど、感動しすぎて涙が止まらなかった」って言い出したんですよ。いきなりそんな話をされたので「それがなあに?」って返したら、「あのとき、姉貴に手術費用を貸してって言われて断ったけど、貸してやればよかったっていう後悔の念で泣いた」って言うんです。

――弟さんにとって、新井さんは「兄貴」じゃなくて、今でも大好きな「姉貴」のままなんですね。

【新井さん】 家族のOKはとっくに出てましたけど、映画のおかげで『理解してあげられなくて悪かったな』って改めて思ったみたいで、ビックリしたけど、嬉しかったですね。そういえば、最近は男の名前でも呼んでくれるようになりましたね。姉貴であり兄貴、と認めてくれているようです。

世の中が寛容になることで生じたLGBTの世代間ギャップ

――新井さんがご家族にカミングアウトされた頃に比べると、性同一性障害に関して、だいぶ寛容な世の中になりましたが、それについてはどう思われますか?

【新井さん】 素直に、うらやましいなって思いますね。でも、危惧していることもあるんです。一般の人がよく「(性同一性障害の人って)男の気持ちも女の気持ちもわかるんですよね」って言いますが、まさに私達の世代は苦労してきたぶん、男の気持ちも女の気持ちも、トランスジェンダーの気持ちも全部わかる。でも、今の子は親や周囲に割とすんなり受け入れてられてる。その結果、自分がオナベならオナベの気持ち、ニューハーフだったらニューハーフの気持ちしかわからない子がすごく多いんです。

――LGBTの世界でも、ジェネレーションキャップがあるんですね。いつごろから、そういったギャップが生じ始めたんでしょう?

【新井さん】 上戸彩さんが『3年B組金八先生』で性同一性障害の役をやりましたよね。そういったテーマがメディアで取り上げるようになって、ニューハーフ業界でもはるな愛さんをはじめ、頭もよくて、本当に女性に見えるような、すごい人がいっぱい出てくるようになった。そんな彼女達をテレビで見てきた世代を親に持つ子たちは、同じトランスジェンダー同士でもまったく違う感覚を持っているように感じますね。LGBTへの理解が深まることは嬉しいけれど、心と身体の不一致にあまり悩むことなく、男の気持ちも女の気持ちもわからない、“オナベ”“ニューハーフ”といった新しい性でいることが当たり前、と開き直ってしまうのはちょっと寂しい気がしますね。

(インタビュー・文/今井洋子 撮影/徳永徹)

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