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「プールの授業は1度もでなかった」トランスジェンダー美女が明かす苦悩と母との関係
性同一性障害を扱ったドラマを見て「自分も同じかも」と思い始めた
【朝比奈さん】 10年くらい前から『ミスインターナショナルクイーン世界大会』の存在は知っていて、「いつか出てみたいな」と思っていたんです。一緒に働いているニューハーフクラブのお姉さん達から、「もうそろそろ出てもいいんじゃない?」って背中を押されたのが大きかったですね。
――仲間の期待を背負っての出場だったんですね。
【朝比奈さん】 そうなんです。1位になって世界大会に出るという夢が叶わなかった悔しさもありましたけど、初めての挑戦で3位に入賞できたのも、お姉さん達がいてくれたからこそ。もともと仲はよかったけれど、この大会がきっかけで、より絆が深まった気がします。
【朝比奈さん】 母子家庭で、一人っ子だったせいもあって、もともと娘が欲しかったという母親から、女の子の服ばかり着せられていました。うちの母、ちょっと変わってる人なんです(笑)。私自身、顔立ちも女の子っぽくて、なよなよしてたし、遊び相手も女の子ばかりだったので、今思えば、母親の願望と私の持って生まれたものが、自然とマッチしていたのかもしれません。
――心と体の性別に違和感を持つようになったのはいつ頃ですか?
【朝比奈さん】 小学生ですね。うまく言えないけど、性別に違和感を抱くというより、周りとのギャップに“気づいた”という感じですね。田舎に住んでいたこともあって、周りの目を気にして、一応、学校では男の子らしくしていたんですが、体育やプールの授業で男子と一緒に着替えなきゃいけないのが辛くて……。とくにプールは裸になるのがものすごくイヤで、1回も授業に出ませんでした。
――そんな自分を、どう思っていましたか?
【朝比奈さん】 はじめはただ単に、変わってるだけだと思ってたんですが、ちょうどそのころ見ていたドラマ『3年B組金八先生』で、上戸彩さんが演じた性同一性障害の生徒をテーマにした話があって。それで「自分もこれなんじゃない?」って、思うようになりましたね。
男性化する体に耐えられず10代で女性ホルモン剤を服用
【朝比奈さん】 13〜14歳だったかな。中学生になってからです。声変わりして、体つきもどんどん男っぽくなってきて「このままじゃ男になっちゃう」って、すごく焦りました。そのころには性同一性障害がメディアでもたびたび取り上げられるようになっていたし、自分でもネットなどで調べまくって、絶対そうだと思っていたので、男性化を止めたくて10代から女性ホルモン剤を飲み始めたんです。
――性別適合手術をするまでのステップを教えていただけますか?
【朝比奈さん】 18歳のときに、睾丸摘出手術を受けるために専門の病院に行きました。そこで性同一性障害という診断書をいただいて、女性ホルモンも注射に切り替え、18歳の終わりごろに睾丸摘出手術を受けました。手術代は、パチンコ屋とかインターネットカフェでアルバイトをして貯めました。
――手術を受けることに対して不安はありませんでしたか?
【朝比奈さん】 不安というか、怖さはありましたね。昔から、痛みにはすごく弱かったので。でも、治療だと思って、自分のためにがんばろうと。睾丸摘出手術を受けてから、しばらくは女性ホルモン注射だけで生活してたんですけど、急激に女性化が進んで、見た目も女の子的になりましたね。その頃は、バイトの面接とかでも「ニューハーフです」って正直に言って、それで採用してもらっていました。性別適合手術をしたのは1年半ほど前です。
――性別適合手術は最近なんですね。ご家族にも相談して?
【朝比奈さん】 はい。手術は外国でしたんですけど、母も一緒に来てくれて。滞在中、ずっと付き添って、サポートしてくれたんです。
――それは心強い。お母さんは、輝空さんにとって一番の理解者なんですね。
【朝比奈さん】 そうですね。私が性別適合手術を受けようと決意したのも、母の影響が大きかったかもしれません。実は、母は看護師なんです。私がカミングアウトしたとき、ちょうど心療内科を専門にしている大学病院に勤めていて。性同一性障害も扱っていたので、母なりにいろいろ調べてくれて。母が否定せず寄り添ってくれたから、決断できたんだと思います。
これまでの人生で一番辛かったのは高校卒業後
【朝比奈さん】 今はまったくないです。年を重ねるごとに精神的にも強くなって、全然気にしなくなったというか。一番しんどかったのは18〜19歳のときでしたね。高校を卒業して、美容の専門学校に通っていたんですが、先生が典型的な九州男児というか、「男は男らしく、女は女らしく」ってすごく語る人だったから、カミングアウトしても「そんなの絶対に認めない!」って感じで。1年で辞めて、「もう死にたい」って思うほど、精神的にも追い詰められてギリギリの状態でした。
――そんな状態から、どうやって立ち直ったんでしょうか?
【朝比奈さん】 母が勤めていた病院の心療内科に2ヵ月くらい入院したんですが、そこがすごくいい病院で。治療の一環として、絵を描いたり、メイクをしたり、園芸したり、自分の好きなことだけを1時間みっちりやるっていうのがあったんです。そこでけっこう症状が改善したんです。あと、同じ病院に、自分と同じ性同一性障害の人がいて。私だけじゃないんだって、ちょっとずつですけど、自分に自信が持てるようになったのも大きかったと思います。
LGBTへの理解は深まっている、でも当事者じゃないと、完全に理解するのは厳しい
【朝比奈さん】 年々、理解が深まってきているのは感じますけど、LGBTであることで、悩んだり、生きづらさを感じている人は、まだまだたくさんいるのが現状です。当事者じゃないと、完全に理解するのは厳しいんじゃないかなとも思うので、メディアを通じてLGBTっていう言葉を知ってもらえるだけでも、嬉しいかなって、私は思います。
――輝空さんから見た、トランスジェンダーとはどんな存在ですか?
【朝比奈さん】 エンターテインメントです。私がニューハーフクラブで働いていて、昼職に就いているトランスジェンダーの方とあまり交流がないからかもしれませんが、私の中ではキラキラ輝いてる、エンターテインメント的な存在ですね。
――最後に、輝空さんの夢を教えていただけますか?
【朝比奈さん】 美容がすごく好きなので、将来的には美容系の仕事がしたいなと思っていて。今、韓国で流行っているような、まつエク、脱毛、エステ、ヘアメイクなど美容全般を手がけるトータルビューティのお店とか、いつか出せたらいいなって思ってるんです。あと、「ミスインターナショナルクイーンJAPAN」にも、もう一度チャレンジして、今度こそ、世界大会に出たいですね。
(インタビュー・文/今井洋子 撮影/徳永徹)