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「半沢チームには任せておける」ドラマ化続く池井戸潤、“日曜劇場”への思い
「小説になるのは、本音だけ」
池井戸潤 5年くらい前にラグビー関係者と飲んでいたとき、社会人ラグビーについての話を聞いたんですよ。これがなかなか面白くて、小説になるねという話をして。ですが、その前にいろいろと書くものがあったので、ようやくその順番が来たという感じです。
――書き始めてからは順調でしたか?
池井戸潤 最初に書いた原稿は全然しっくり来なかったんです。なぜだろうと考えたら、単なるラグビー礼賛小説だったからかな、と。日本でよく使われる“One for All, All for One”という言葉も、強豪国ニュージーランドのラグビー関係者に聞いたら、「それは『三銃士』のフレーズじゃないの?」と言われて。調べていくうちに、自分が信じていたラグビー像は間違っているんじゃないかと思い始めたんです。そこから、日本のラグビーとは何なのか、本当の姿と問題点を自分なりに突き詰めるべきなんじゃないかと思えてきて。それで、最初の原稿を全部ボツにして、もう一回、経営の観点から書き直しました。やっぱり、本音と建て前で言うなら、本音だけなんです、小説になるのは。
――ドラマでは大泉洋さんが主演されますが、執筆する際には誰が演じるかを頭におくものですか?
池井戸潤 通常は執筆が終わってから映像化されるので、頭にはおいてないですね。
――今回、取材はされているのでしょうか?
池井戸潤 ラグビー協会や社会人チームに取材に行きましたし、関係者にも話を聞きました。僕はあまり取材をしないほうなんですが、小説のカギになる部分で、想像だけではわからないこと、真逆の事実が隠されているかもしれないというところは聞きにいきます。取材は、書いた後に確かめにいく感じですね。
――あまりにも本当のことを書くと、リアルだからこそ相手が怒ることもあるのではないでしょうか。
池井戸潤 僕は新聞記者とは違って、出禁になっても困らない(笑)。だから本当のことが書けるかも知れませんね。
香川照之の芝居で演技の力を実感、小説と脚本が違っても「面白ければいい」
池井戸潤 準備稿の段階で見ます。ダメだと思ったところは指摘しますね。
――今のところは、ご自身が描いていたものどおりに?
池井戸潤 いや、かなり違います(笑)。でもそれでいいんじゃないかな。ドラマはドラマ、小説は小説だし、要は面白ければいいんですよ。それに、芝居を見ないと、脚本だけではわからないこともある。だから脚本の段階では、有機的に構成されているか、そういうところをチェックします。
――今まで、たくさんの作品が映像化されてきましたが、いかがですか?
池井戸潤 『半沢直樹』や『下町ロケット』は、福澤克雄監督のフィルターを通して撮られているので、そのテイストがうまく出ていると思います。映画『七つの会議』の脚本(丑尾健太郎さん、李正美さん)を見たとき、「徹底的に売って売って売り倒せ」というセリフなど、最初は「なんて直接的な表現だ」と思ったんです。でも、スクリーン上で香川照之さんの芝居を見て、「なるほど、こういう風に演じればあのセリフは様になるんだ」と感じて、演技の力を改めて思い知りました。小説にはそうやって上手に演じてくれる役者はいないから、物語の中ですべて完結しないといけない。脚本とはまた違うんですよね。
はっきりしたものを作る『半沢』チームには「任せておける」
池井戸潤 客観的に見ていました。僕に関係あるのは、本の売れ行きだけですからね(笑)。ドラマと本は別物だと思っているし。視聴者もそうだと思いたいんですけど。
――そうですね、原作を読めばわかりますよね。
池井戸潤 そう、読めばわかる。ただ、他の作家のドラマ化作品を、僕の原作だと勘違いしている人もいるけどね(笑)。
――日曜劇場イコール池井戸作品、みたいな刷り込みは確かにありそうです(笑)。それくらい作家とドラマが結びつくことってないんじゃないかと。
池井戸潤 結果的にそうなっているだけですから。『半沢』のチームは、キャラの立った人たちが、画を見ればわかるようなはっきりしたものを作るので、面白い。任せておけると思っています。
様々な価値観の人々を相手にする書き方
池井戸潤 そんなに大層なことは考えてないです。登場人物がそれぞれ頑張って、最後はスッキリした結末を迎える。僕自身、そういう話が好きなんです。それに、理不尽なままで終わると読者から「小説くらいはスッキリさせてくれ」という感想が出てくる。でも、スッキリさせると「現実はこううまくはいかない」とも言われる(笑)。つまり、全員が納得できる小説はないということなんです。
――ご自身でも、小説と比べて「現実はこうはいかない」と思われたことはありますか?
池井戸潤 僕がいた会社は、納得できないことはあまりなかったな。小説はエンタテインメントであり、現実ではない。でも読む側は、モデルがいると思う人も、現実を描いていると思う人も、経験と違うと怒り出す人も、何を書いても許す人もいて、いろいろです。これだけ雑多な価値観を持っている人を相手に売るのは、至難の業ですよね。
――そういう声を取り入れることはありますか?
池井戸潤 こう書くとこういう反応が来るだろうということはほぼ予想できるようになりました。でも、たまにわからないこともある。例えば昨年『下町ロケット ゴースト』という小説を書いたんだけど、その次に『下町ロケット ヤタガラス』が発売される…と発表したとき、「こんな尻切れトンボで終わって」と言われたことがあるんです。『ゴースト』は小説として完結しているのに、こんな反応がくるのだなと。今は、そういうことを言われないようきっちり結末をつけ、主要な登場人物たちがその後どうなったのかも書くようにしています。小説の読まれ方は変わってきていて、昔出した短編集を今読んだ人から、「結末がちゃんと書かれていない」という感想が来たりするんです。
――昔は違ったんですね。
池井戸潤 以前は、事件をあらかた解決して、後は余韻を残して読者の想像に任せる、それが短編の一つの手法だったんです。でもそれだと不満が出るようになった。『ノーサイド・ゲーム』も、ドラマをきっかけに手に取ってくれる人が多いんじゃないかな。この本は、ラグビーをよく知らない人、小説をふだん読まない人にも面白く読んでもらえるよう心掛けて書いたつもりです。
――その辺を意識されるようになったのは、いつごろからですか?
池井戸潤 若い頃は全然わからなかったけれど、今は、たくさんの人に読んでもらえるようになった。どうしたら楽しんでもらえるかを僕なりに研究して、試行錯誤しながら書いているわけです。今、出版業界は不振と言われますが、出版に限らず衰退していく業種と伸びている業種、いろんなものがあって、横ばいのもののほうが少ない。ですが、業種全体が不調だから自分もダメというのは言い訳であり、工夫が足りないだけじゃないかな。そういう努力をしないで「業界が不振」というのは違うと思っています。
――今回の主人公も、経営的な観点でラグビーを変えていくわけで、重なりますね。
池井戸潤 ドラマの骨格は原作にあるので、原作がダメだとドラマにも影響してしまう。そうならないよう、たくさんの人に楽しんでいただくという明確なコンセプトを意識しながら書きました。