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小説家デビューしたラランド・ニシダが三度目の正直で『源氏物語』読破「男子校の部室トーク感が好き」
二度の挫折の敗因は“国語教育の呪い” 打破のカギは「理解するのを諦める」
──ニシダさんは2度の挫折を経て、昨年ついに『源氏物語』を読破した時のことについて本書に寄稿されていますが、挫折の原因はなんだったのでしょうか。
渡辺祐真(以下・渡辺)“源氏挫折あるある”ですよね。僕もなまじ大学の専攻が国文学だっただけに原文にチャレンジし、冒頭の2帖できっちり失敗しました(苦笑)。ニシダさんの「理解するのを諦める」「わからないところは読み飛ばせばいい」という読み方は、『源氏物語』を読んでみたいけど読了できるか不安に感じている人にすごくいいアドバイスだなと思いましたね。
ニシダあくまでも僕の読み方ですよ。でもその方法で読み終えてみて、結果、『源氏物語』は最高に面白いエンタメ小説でした。人間の心の動きは1000年前も今も変わらなくて、それが故に相手とぶつかったり、仕事でミスったりもする。そうした群像劇としての普遍的な面白さに気づく前に、当時の価値観だとか社会システムだとかでつまづいてたのは、本当にもったいなかったなと思いましたね。
ニシダ共感とは違うのかもしれないですけど、光源氏が男同士で「どんな女の子がタイプ?」とか「付き合うならこういう子、結婚するならこういう子」とか語り合うパートなんかは、男子校の部室トーク感があってすごく好きでしたね。「当時もそういうのやってたんですね」って(笑)。
渡辺たしかに(笑)。「俺、けっこう女の子から手紙もらってるし」「え、ちょっと見せろよ」とか、LINEのトーク画面を見せ合ってる感じそのまんまですよね。
ニシダあと、当時は一夫多妻で男性は不倫も許されるってイメージがあるじゃないですか。けど意外と世間から「うわ、マジか…」みたいなネガティブな反応をされるケースもあったりして。その辺も「意外と許されてないんだな」と思いながら読んだりしてました。
ニシダでも、女性作者なのに、よくもあんなリアルに男性の機微を書けたなって思います。最近、書いた小説は女性主人公なんですが、めちゃくちゃ難しかった。たとえば、好きな男性とデートで居酒屋行くときに、照明が明るいほうがいいに決まってると思ってたんですけど、担当の女性編集者から「明るいとちょっと恥ずかしいから、暗いほうがいい」と指摘されて。他の女性の方からも同様の指摘をうけたんですけど、意外とこういうことがわかんないなって。そう考えると、紫式部の皮膚感覚はすげえリアルだなって思いますね。
光源氏は"悲しき島耕作"「すべてのものを欲しがったが故に、本当に欲しかったものを手に入れられなかった人」
ニシダたしかに女性遍歴はすごいし、仕事も野心的にバリバリやるけど、嫌な感じがしないのは、たぶん“すべてのものを欲しがったが故に、本当に欲しかったものを手に入れられなかった人”という印象を持ったからなんですよね。
渡辺僕は光源氏の人格形成の1つに「天皇の子として生まれたのに、天皇にはなれない」というコンプレックスがあったんじゃないかと思うんです。皇族関係の女性に手を出しがちなのも、そのコンプレックスの裏返しというか。仕事の面でうまくいかなかったところを恋愛で挽回しようとするあたり、"悲しき島耕作"みたいな印象がありますね。
渡辺そうですね。最初の奥さんの葵からして、彼女の実家が太かったがためにあまり打ち解けられなかったり。そのあたりも男のプライドの悲哀を感じます。
──その葵も光源氏の浮気相手である六条御息所の嫉妬により、生霊に取り憑かれて死んでしまう。レディコミさながらのドロドロな人間模様も読み応えがあります。
渡辺ちなみに作者の紫式部は、日記で「もののけを生み出すのは人間の心(もののけなんていないんじゃないか)」とか身も蓋もないことを書いてるんですよ。だけど病気でただ衰弱するより、生き霊の存在を匂わせたほうがエピソードが断然盛り上がりますよね。しかもこの頃には夫婦の仲もよくなりかけているのに、その矢先に葵が死んでしまって、それによって光源氏は六条御息所への怒りを深めるという、誰も幸せになれない展開。
ニシダ最初っからミスってますね。
渡辺そういう人間のダメさだったり、愛の思い通りにならなさがたくさんのエピソードを通してドラマチックに描かれている。『源氏物語』が1000年廃れずに読み継がれ、しかも明治時代には翻訳版が海外の読者も魅了した理由は、そうした現代小説にも通じる普遍性とエンタメ性に溢れているからだと僕は思います。