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「日本は長期ビザ取得が難しい…」日韓国際ゲイカップルが直面する現実の厳しさ「同性婚できたら結婚式に両親を呼びたい」
偶然とドラマチックな出来事を経て生まれた関係
Taikiさん 海外コレクションでモデルの仕事をしていたなか、1ヵ月ほど韓国に滞在した時に、友人に紹介されました。でも、グループで遊ぶうちに仲良くなったのに、突然NoahからLINEをブロックされたんです。気になっていたので、すごく悲しかったです。
Noahさん その時の僕は、2年半住んでいたドイツから帰国したタイミングでした。またすぐに別の国に行くし、Taikiも日本に帰らないといけない。これ以上好きになったらつらくなると思って、本気になる前に会うのをやめようと思ったんです。
Taikiさん ブロックされた日の夜に、レストランでまさか偶然会うとは思わず気まずかったのですが、お酒の力を借りながら話をしていくうちに、仲を取り戻していきました。韓国最終日にあいさつしてから帰国しようと思って、Noahの家に行きました。Noahが寝起きだったこともあり、あいさつだけで終わり、僕は空港に向かうバスを待っていたんです。そうしたら、部屋着のままサンダルでNoahが走ってきて…ドラマのワンシーンのようにスローモーションに見えました(笑)。そこからぐっと距離が近くなって、帰国後もほぼ毎日連絡を取り合っていました。
――その後、同棲に至ったのは?
Taikiさん 1ヶ月後にまた仕事で韓国に行く機会があったので、その先のことを2人で話し合い、日本で一緒に暮らすことになりました。当時の僕は、欧米など海外を転々としている仕事で日本に家がなかった。それで帰国後、すぐに家を探しました。
Noahさん 家が見つかった翌日に僕が日本に行って、同棲生活を始めました。全て1ヵ月ほどで起きた出来事です。
同性婚が認められていない日本で滞在資格を得るために会社設立
Noahさん Taikiの紹介で所属したモデル事務所に興業ビザを支給してもらいました。
Taikiさん 外国人モデル事務所のマネージャーを知っていたので、Noahを紹介しました。日本では就労ビザの取得が難しいなか、エンタテインメントの仕事は比較的、取得しやすかった。
――その後、Taikiさんは自身で事務所を立ち上げ、Noahさんを所属モデルにしてビザを支給しています。
Taikiさん 長期ビザの取得は難しく、だいたい3ヵ月ほどです。もし会社に切られたら、自分たちが一緒に生活ができなくなる。弱みを握られているわけではないのですが、やはり自由がきかないというか、僕らの運命を握られている感覚がどこかにある気がしていました。それで自分たち自身で生きていくために、会社を立ち上げました。
Noahさん 最初に所属した事務所はとても良くしてくれたのですが、その後に移籍し、いろいろあって…。3年半前からTaikiが会社を設立してくれてモデルとして所属し、いまでは安心して仕事に励んでいます。
Taikiさん 会社を設立して3年半ですが、気づけば所属人数が50人ほどの事務所になりました。その業務内容も多岐に渡り、モデルとクリエイターのマネジメント、広告制作やキャスティングをしています。とてもやりがいを感じていますし、所属の皆の未来がとても楽しみです。
からかわれたり、いじめられて、ずっと悩んで傷ついていた思春期
Noahさん 中学生くらいです。すごく好きな人ができて、「自分は男性が好きなんだ」と気づきました。でも、「自分は普通じゃなくておかしい、病気なんだ」と思っているから誰にも言えない。周りからは、「女性っぽい」とからかわれていました。当時は、学校が自分が生きる世界の中心だったので、そこで否定されるともう人生の終わりに等しい。すごく悩んで、ずっと傷ついてばかりいた思春期でした。
Taikiさん 僕は幼少期から女子グループにいる方が居心地が良く、1人だけ混じって遊んでいました。でも、幼いながらに「男だから男らしくしないといけない」といつも悩んでいました。「男の子を好きになったらおかしい人になってしまう」という不安がありました。オカマと言われていじめられたり、自分みたいな人間は必要ないと考えてしまったり、ずっと葛藤していた幼少期でした。
――転機となった出来事があったのでしょうか?
Noahさん 高校生になって初めてゲイの友だちができました。彼の方から「僕はゲイだけど、君もそうじゃない?」と話しかけてくれて。その時に、「自分は世の中で1人きりじゃない」と気づけて、そこから少しずつオープンになって、性格も変わっていきました。
Taikiさん 僕は思春期の恋愛対象は女性で、大人になっていくに連れて自然と男性が気になりました。自分の気持ちが自分ではっきりするまでは複雑で、女性と恋愛したいと思っていたし、女性と結婚して家庭を持つものだと考えていたんです。でも、女性を性的な対象に見れたことは一度もなく、自然と男性に目がいくようになっていました。それでもまだその時は、男性と恋愛できる感覚はなく、どうしていいかわからなくて混乱していました。最初にゲイだとはっきり認識したのは、20歳くらいで初めて彼氏ができた時でした。
カミングアウトをしたくなかった…母親のひと言で救われ自分らしく生きられるように
Taikiさん 21歳の時に親に話しました。「墓場まで持っていかないといけない」と考えていたのですが、親に話してから心が救われて、人生が180度くらい変わりました。それまでの葛藤が生きるパワーに変わり、Noahとの生活は家族公認で親戚にも会い、家族旅行にも一緒に行ったりします。
Noahさん Taikiのお母さんが、とても素敵な人なんです。
Taikiさん 僕は、親族や友人にカミングアウトをしたくなかった。差別や偏見に晒されるかもしれないし、それによって両親が自分たちを責めることになるかもしれない。でも、「あなたがそう思うのは、自分自身にそういう考えがあるからでは」と母に言われました。
――その言葉は、とてもハッとさせられます。
Taikiさん 「現実としてそういう差別があるなら、ゲイという部分をフィーチャーされなくなるような誰にも負けないステイタスがある大人になれるように、頑張りなさい」と背中を押してくれました。僕のカミングアウトに驚きはしたけれど、「親の視野を広げてくれてありがとう」と言ってくれました。その言葉を聞いて、「もう隠して生きたくない、自分の人生をすべて受け入れて楽しもう」と思えるようになりました。堂々と生きられるようになったのは、その日からです。
Noahさん 僕は自分からは誰にも話していないのですが、Taikiとの生活が韓国でネットニュースになって、それを見た姉から連絡が来ました。父が厳格な人で、姉も父に似た厳しい人なので、縁を切られるかと覚悟をしたんです。でも、「弟であることは変わらないし、好きな人と一緒にいられて幸せならそれでいい」と言ってくれて。たまたま仕事で大阪にいて、お好み焼き屋でご飯を食べている時に連絡があったのですが、Taikiと号泣して、周りの人に驚かれました(笑)。
――「必ずしもカミングアウをすることが正解ではない」という声もあります。
Noahさん 僕は両親には話していないのですが、コロナ前は年に1〜2回韓国の実家にTaikiと帰っているので、気づいていると思います。でも、両親は何も言いません。祖母だけ「いつ結婚するの?」と聞かれたことがあります。日本の法律が変わってTaikiと結婚できるようになったら、ちゃんと両親に話して結婚式に来てもらいたいと願っています。
(文/武井保之)
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