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「彼らが遺した“原爆”の資料に託されたものを感じた」NHKスペシャル取材班が明かすジャーナリストとしての苦悩と矜持
「70年以上前に国家によって隠蔽された事実を掘り起こすことが、いかに困難であるか」苦闘の日々
「Nスペでは例えば1000くらい取材しても伝えられる情報は限られてしまいます。書籍のほうでは、取材過程でわかった驚き、発見を、1つ1つ、素直に丁寧に伝えていくということを、心がけました」
「原爆初動調査には医者や科学者も携わっており、中には残留放射線による人体への影響を指摘した専門家もいたことが取材を通してわかりました」
被害を受けたと訴える人たちがいる一方で、残留放射線の真実が覆い隠されたきたことで、自分が当事者であると認識することすら奪われた人もいた。
「時間も経っていますしね。『なんで原爆のことを話さなきゃいけないの』とか、『原爆に関係している、被爆者として見られることに抵抗がある』という人もいらっしゃいました。
放送に至るまでの2年にわたる取材は『70年以上前に国家によって隠蔽された事実を掘り起こすことが、いかに困難であるか』を痛感する日々でもありました」
今なお苦しむ調査対象地区住民からの“重い”一言「私たちの調査報道が地域の分断を助長してしまうのでは」
「今回、私たちが突き止めたことを告げたところ『聞きたくなかった。だけど事実は教えてくれないと』と厳しく言い放った方も。残留放射線の隠蔽は国家だけでなく当時のメディアも加担していたことであり、ジャーナリストとして重く受け止めなければいけない言葉でした」
また、島原市では、78年前の残留放射線のデータと血液検査のみだったため、科学者から、これをもって健康被害があったかを結論づけるのは不可能だと判断されてしまう。取材班にとっては、忸怩たる思いが残った。
実際に血液検査で異常値を示した方々の、戦後の人生を調べることによって――もちろんこの因果関係は突き詰めることはできませんが――例えばガン、白血病など放射線の影響とみられる病気を発症しているならば、何かしらの可能性ということを伝えられるんじゃないかと、島原の取材を続けました。
しかし、結果的に、調査がされてなかった場所、調査が継続されなかった場所は、答えが出せなくなってしまった。それこそが罪深いことだ、と思いました」
たとえば、西山地区では、農業主体であるために、残留放射線について口にしたら生計が閉ざされ、村八分になる恐れから口をつぐんでいった歴史がある。また、政治的事情によって「原爆被爆地域」対象外となってしまった間の瀬地区は、「戦後間もないころの地元自治体の役員たちがもっと陳情していれば…」と地域内で不協和音を生んでいった。初動調査の隠蔽が落とした影は大きい。
「私たちの調査報道が地域の分断を助長してしまうのではないか。調査対象地域の取材はそうした迷いとの戦いでもありました。しかし、怒りを向けるべきは地域の内側ではない。残留放射線の存在が覆い隠され、現代もなお固定化されてしまったことそのものではないか。それが『原爆初動調査 隠された真実』で私たちが伝えたかったことです」