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『パインアメ』、同年創業の『サクマ式ドロップス』と明暗なぜ? 飴不況でもシェア広げる大阪の“アメちゃん”秘策

 食ニーズの多様化、物価高騰などにより、飴業界が苦境を迎えている。昨年、1910年創業のアメハマ製菓が廃業し、来年1月には『サクマ式ドロップス』の佐久間製菓が廃業する。コンビニやスーパーには100種類以上が立ち並び、新商品を1年に1000作っても、生き残るのは2〜3種類といわれる熾烈なマーケットだ。そんな中、佐久間製菓と同年創業(昭和23年)ながら、70年以上に渡り人気を維持しているのが『パインアメ』のパイン株式会社だ。なんと同社は今年、過去最高の売上を記録する勢いだという。その秘策とは。

貴重な甘味だったパイン缶を手軽に、日本初の“穴あき飴”ヒットから70年 弛まぬ進化

 『パインアメ』が誕生したのは、戦後間もない1951年(昭和26年)。まだ市場に甘い菓子が少なく、パイナップルの缶詰は病気の時やご褒美にしか食べられない憧れの食べ物だった時代だ。そんな中、「貴重なパイナップルのおいしさを、多くの人が手軽に味わうことができたら」という思いから、大阪から新たな“アメちゃん”が誕生した。

「当時はまだパイナップルの香料がなかったので、りんごやイチゴなどの香料をブレンドして、パイナップルらしい味を再現していました。瓶入りで1粒1円で販売され、発売当初から反響は大きかったと聞いています」(パイン広報室・井守真紀さん/以下同)
 当初は飴に穴を開ける技術がなく、平たい飴にパイナップルらしい筋を入れた形だった。しかし、先代社長の「パイナップルの缶詰に入っている、穴の開いた輪切りを再現したい」という思いから、飴職人と共に開発をスタート。最初は従業員が割り箸で1つずつ穴を開け、腱鞘炎になることもあったが、この“穴”に妥協は許されなかった。

「『パインアメ』のヒットにより、当時模倣品がたくさん出回っていたのです。差別化のためにも穴を開ける技術は必須でした。味を寄せることはできても、熱い飴に穴を開けるとなると割れることも多く、高度な技術が求められました」
 2年の歳月をかけ、ようやく自動キャンディ穴開け機を完成させた。苦労の甲斐あって、昭和28年に発売された穴の開いた『パインアメ』は、唯一無二の存在に。さらなる差別化を図るため、デザイナーに発注し、ロゴも作成。現在も、当時から変わらないロゴが使われている。

 駄菓子屋などで瓶に入れられ、一粒ずつ売られていた時代から、昭和43年頃に透明のフィルムで巻いた“ひねり包装”に。さらに昭和62年頃、今の個包装の形へと変化。その後も消費者の嗜好に合わせて、ひそかに進化を遂げている。

「最初はパイナップルの香料もなく果汁も入っていない状態で、とにかく甘みを追求していました。今はもちろん果汁も入っていますし、日々色々な果汁を比較して改良を続けています。大きく味を変えないことを意識しながら、よりパイナップルらしい味にこだわっています」

全品回収でクレーム対応に追われる日々…忘れられぬ倒産危機からの“アメちゃん”復活劇

 順調に成長を続けていた『パインアメ』だったが、平成14年に最大の危機が訪れる。型から飴を抜く時に使用していた“ヒマシ硬化油”に、食べ物に使ってはいけない添加物が入っていることが分かった。口紅などにも使用されており人体に害はないが、食品衛生法の改定により不認可となっていたのだ。それを油メーカーが把握しておらず、同社も知らずに仕入れてしまっていたため、全品回収の大惨事となった。

「全国から倉庫がいっぱいに商品が帰ってきた時は、社員も皆、泣きました。朝から夜遅くまで電話が鳴り止まず、『おたくの商品はもう食べません』などと辛辣なお言葉もたくさんいただいて、精神的にもかなり追い詰められました。でも、社員全員“頑張っていかないと”と一致団結することができましたし、問屋さんも“また置いてあげるから新しいのを作りなさい”と言ってくださって…。温かいお言葉がなかったらつぶれていたかもしれませんし、みなさんがパインアメを守ろうとしてくださったことが本当にありがたかったです」
 在庫を全て処分し、1週間で新しい商品を生産。「お客様に安心してまた食べていただきたい」という一心で、復活に懸けた。交換ではなく返金対応だったため、当然その年の売上は落ち込んだが、翌年からは復調し、その後の右肩上がりの成長は現在まで続いている。回収時の誠実な対応で、失った信頼を“安心、安全”へと変えていったのだ。

 こうして関西を代表する“アメちゃん”としての信頼と実績を取り戻したパインだったが、年々競争激化していく飴市場において、全国区での人気獲得が課題に上がっていた。そこで井守さんは、平成22年にTwitter開設を会社に提案。それまで同社広告と言えば、1年に1度、新聞のテレビ欄に『パインアメ』というロゴと、飴一粒が描かれたシンプルな名刺サイズを出していたのみだった。SNSに馴染みのない社員が多い中、井守さんの提案は挑戦だった。

「“タダでできますよ”って会社にプレゼンしました。大阪の人は“タダ”って言葉に弱かったりもするので(笑)。最初は『パインアメ』と呟いた人皆さんに御礼の返信コメントをしたり、2月22日の“猫の日”には、猫耳のついたパインアメを手作りし投稿したり、皆既月食の日にはパインアメで月食を表現したりと、コツコツやってきました」

 開設から12年経った現在、フォロワー数は16万にまで成長。徐々に東日本で取り扱う店舗も増え、『パインアメ』の認知は全国へと広まっていった。

メインターゲットは子どもから大人へ? 秘策は“飴コーナー外“のコラボ、70品以上

 平成29年には過去最高の売上を記録し、今では年間4億粒のパインアメを全国に出荷。さらに今年は歴代最高売上を更新する勢いだというが、飴の消費量が年々減少する中、パインが躍進する背景には“コラボ”効果が潜んでいる。平成23年、神戸屋とコラボした『パインアメパン』を皮切りに、ゼリーや飲料、リップクリーム、入浴剤まで、幅広い商品とのコラボを実現。その数は70品以上に上るが、全て先方からの声がけだというから驚きだ。
「様々な企業様とのコラボにより、他の売り場で“パインアメ”のデザインや文字を見ていただく機会が増えて、とてもありがたいです。普段飴コーナーには立ち寄らない男性や、若い層、幅広い世代に知っていただける機会になっています」

 特に反響が大きかったのは、小林製薬とコラボした『噛むブレスケア パインアメ味』。ほかにもお酒『パインアメサワー』や食器用洗剤『クロリスディッシュ』など、コラボ商品は大人向けのものも少なくない。

『どんぐりガム』の“当たり”なくなっていた… 生き残りかけたメーカーに迫られる決断

 時代の流れと共に、飴そのものの立ち位置は変化している。昭和26年の発売当初は、駄菓子屋で子どもに買ってあげる物だったが、いまではのどを潤す目的や小腹が減ったときなど、大人がメインターゲットとなりつつある。

 さらには、グミやソフトキャンディなど多種多様の菓子が登場し、飴メーカーが生き残るには厳しい時代が到来している。昨年にはアメハマ製菓が廃業し、来年1月にはパインと同年創業の佐久間製菓が廃業を発表。物価高騰も相まって、自社努力だけではどうにもできない外的抗力も色濃く、各社は値上げや新商品の開発など、決断を迫られている。

「時代に合わせて変わらないといけないことも多く、実は弊社も『どんぐりガム』の当たりをなくすなど、細かな部分を変えています。駄菓子屋さんでは当たりを交換できても、交換が難しいお店が増えてきたため、泣く泣く決断しました」
 1つの商品に頼りすぎるのはリスクがあるため、半年に10品ほどの新商品開発にも注力。『パインアメ』のブランド力を保持しつつ、苺ののど飴にパウダーをコーティングした『粉雪のど飴』など、新たな柱になるべく他の商品も育てている。

「お客様から『パインアメをシュガーレス化しほしい』といった要望をいただくこともあります。しかし、そういった現代的ニーズであるヘルシーさや付加価値は他の商品で還元しつつ、『パインアメ』はそのままの形で残すことにこだわっています。とはいえ、今後も懐かしいだけのお菓子にならないよう、みなさんに忘れられない努力を続けていきたいです」

 発売から70年が経ち、若い世代にはもはや、缶詰に入った“輪切りのパイナップル”は馴染みがないだろう。それでも『パインアメ』が親子三世代、老若男女に愛され続けるのは、創業当時から変わらない“手軽においしい物を届けたい”と願う思いに他ならない。


(取材・文=辻内史佳)

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