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“ロケ弁”といえば津多屋、テレビ御用達のきっかけは偶然が重なった『全員集合』
たまたまバスに乗っていたテレビ局員が津多屋の車を見て連絡、いきなり150食発注
「父に聞いた話では、弁当作りのノウハウもなければ、勝算すらまったくない中でのスタートだったそうです。約50年前の当時は、近所の会社や工場さんの給食弁当、また父が『ローマイヤ』に勤めていた時のお得意様にお願いして、銀座の百貨店などに弁当を置いてもらっていました」(河口貴氏/以下同)
だが翌1973年頃、ビッグバン級の奇跡が起こる。
「ある日、父の元に電話が入ったんです。お電話をくれた方は、路線バスに乗っていた時に『津多屋』の車を見かけて、電話したとのことでした。おそらく配達に行っていたバンのドアに書かれていた電話番号から、お問い合わせいただいたのですが、それが『8時だョ!全員集合』のスタッフの偉いの方だったんです」
早速、河口氏の父はサンプルとなる弁当を持って行った。スタッフはその場で食し、「この味ならお願いできる。いついつから150食、お願いできますか?」と依頼。
「父は相当喜んだそうです。『8時だョ!全員集合』の公開放送は各地で行われるのですが、関東近県で行われる放送の際に納品させていただきました。父から聞くところによると、他のお弁当屋さんは、1回作るとずっと同じものしか来ない。けど『津多屋』は毎週のり弁なんだけど、おかずが2品とか3品少しずつ変えていたり、旬の食材を使った炊き込みご飯だったり、バリエーションが豊富だった。というのが継続して選んでいただけた理由じゃないか、とのことでした」
“ロケ弁”という性質上、「津多屋」のスタッフが、ドリフターズのメンバーから直接、弁当の感想を聞く機会はなかったという。だが、『8時だョ!全員集合』が終了した後も、故いかりや長介さんが出演したドラマ『踊る大捜査線』(フジテレビ系)から注文を受けたり、故志村けんさんの『志村けんのたいじょうぶだぁ』(同)や『天才!志村どうぶつ園』(日本テレビ系)などにも納品していたというから、その味を気に入っていたと言えるだろう。
注文数で感じるバブル期と今の違い「キリのいい数字ではなく、きっちり人数分に」
「石原プロさんはとにかく量の多いお弁当を好まれましたね。裕次郎さんの何回忌かのときのスタッフさん用のお弁当を受注いただいたり、渡哲也さんがお元気なころに、好物だと言っていた奈良漬けと明太子を押し出した弁当を作ったりなど、ご縁がありました」
創業から50年の歴史は、まさにテレビと共に歩んできたと言っても過言ではない。90年代のバブル期の華やかだった時代から、「元気がない」と言われる昨今まで、ロケ弁を通じてテレビの裏側を見てきた同社は、その変化をどのように感じているのだろうか?
「バブルの時のような景気のいい時代は、タレントさん用とスタッフさん用のお弁当を分けていましたね。番組の規模にもよりますが、タレントさん用が200円から500円くらい高いお弁当を注文されていました。最近は分けずに、スタッフさんと均一なことが多いです。
また、当時は50個、100個、150個、200個などキリのいい数字での注文が多かったですね。余ってもいい、細かい数字は気にしないということが多かったように思えます。ですが最近は制作費の関係か、47個とか113個とか、キッチリ人数分の注文が多いです」
全盛期には1日に2000食以上も受注していたというが、2020年は、コロナ禍で注文は激減。だが徐々に戻りつつあるという。
「コロナ禍が始まったときは、テレビのロケやイベントが相次いで中止に。でも報道番組や一部バラエティがやっており、テレビ局自体は稼働していた部分もあるので、注文がゼロになることはなかったですが、テレビ局関連の売り上げは50%くらい減ったと思います。それでも昨年初めから動きが良くなって徐々に盛り返して。昨年の『輝く!日本レコード大賞』(TBS系)さんから1600食のご注文をいただいたり、現状8割くらいには戻っています」
“冷めても美味しい”を実現するノウハウと、貫く美学
「一般的なお弁当屋さんは、基本的に出来立てを提供して温かいうちに食べることが多いです。ですが、ロケ弁は冷めた状態で召し上がっていただくことが多いので、“冷めても満足感のあるお弁当”というのを、一番肝にして考えています」
「アツアツで食べる前提のものとは調理法も違います」と話す河口氏。そこには50年かけて築き上げてきた独自のノウハウが多数あるという。
「例えば甘味や塩味は冷えると味がぼやける。だからやや強めの味付けを心がけています。また、焼き魚も完全に火を通すと、冷めたときに身が固くなりますので、特別な機材を使って中の温度を調整し、予熱でふっくらと仕上がるようにしています。また、揚げ物もなるべく新鮮な油を使用。水蒸気で衣がフヤフヤにならないよう、冷まし方も工夫しています」
美味しさだけでなく、当たり前のことだが、食中毒などが起こらないよう衛生面にも細心の注意を払う。定期的に検査を依頼し、菌を徹底的に排除・抑制する仕組みを取っているという。
と、ここで疑問が生まれる。これだけの人気、ノウハウを持ちながら、練馬区上石神井にある1店舗ですべてをまかなっている。なぜ大規模な全国展開などは行わないのだろうか。
「実は銀行さんをはじめ、いろいろなお話はいただいています。ですが今以上に規模を大きくしてしまうと私の目が届かなくなってしまう。大切なのは、お客様であり、満足いただける創業当初からの“味”。それを守るためには私がチェックできる範囲での今が限界。これ以上大きくすることはできません」
規模を拡大せずに、守り続ける津多屋創業当初から“味”――看板となっている「のり弁」には、同社のアイデンティティが詰まっている。
「当社で最初に生まれた弁当は、看板メニューの『のり弁』。これは私の祖母が、学生だった父に持たせていた弁当がベース。のりが二段重ねになっているのはこの時の名残です。父は祖母の味…いわゆる“おふくろの味”の思い出とともに、料理好きの祖母からいろいろ教えてもらいながら独学で『おいしいお弁当を!』と奮闘し、作り上げました。そしてそれらを50年間提供し続け、今があるのは従業員のおかげ。今後も、守り続けていきたいですね」
美学を貫き、エンタメ業界の多くの食通をうならせてきた“おふくろの味”。これからも、業界を裏側から“美味しく”支え続けてくれそうだ。
取材・文/衣輪晋一