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5度の手術経て乳がんとの闘い乗り越えた生稲晃子、新たな病は「気が狂うほど」の“むずむず脚”…「つらい思いをしている人がたくさんいる」

  • レストレスレッグス症候群を公表した生稲晃子

    レストレスレッグス症候群を公表した生稲晃子

 1980年代、一世を風靡したアイドル・おニャン子クラブとして活躍し、その後は女優・タレントとして活動してきた生稲晃子さん。40代で乳がんを発症し、長く闘病生活を続けてきた。5回の手術を乗り越え、これからは安心して過ごせる…そんな矢先に彼女を襲ったのが、“むずむず脚症候群”とも呼ばれるレストレスレッグス症候群だった。病気らしい病気でないからこその悩み、また自身の闘病経験を生かした活動まで、真摯に明かした。

「公表して良かった」乳がん闘病後を襲った“レストレスレッグス症候群”

  • 乳がんで闘病中の生稲さん(2013年12月)。現在はレストレスレッグス症候群と闘う

    乳がんで闘病中の生稲さん(2013年12月)。現在はレストレスレッグス症候群と闘う

 伝説のアイドルグループ・おニャン子クラブの会員番号40番として、華々しい活躍を遂げた生稲晃子さん。卒業後は女優やレポーターなどの仕事を中心に芸能活動を続けるも、2011年3月、42歳のときに乳がんが発覚。再発を繰り返したが、生稲さんは長くつらい闘病生活を持ち前の明るさと前向きな気持ちで乗り越えた。しかし、そんな彼女に新たな病が発覚したのは、今年の6月のこと。病名は「レストレスレッグス症候群」。“むずむず脚症候群““下肢静止不眠症候群”とも呼ばれる、主に下肢に不快な症状を感じる病気だ。日本における患者数は人口の2%〜4%、女性が男性の1.5倍を占め、年齢が上がるとともにレストレスレッグス症候群にかかる率が高くなると言われている。

 乳がんのときは、5度の手術を受けた後に初めて自身が乳がんであることが公表した生稲さん。だが今回は、早期の段階でブログで公表するに至った。

 「きっと私と同じように、病気と思わず、人にも言えず、つらい思いをしている方がたくさんいるのではないかと思ったんです。“レストレスレッグス症候群”という病名があると知ったときに、『これは病気と捉えてよかったんだ』と、私自身もほっとできて。みなさんにお話しすることで、少しでも安心していただけたらと思い、ブログに書きました」。

 その反響は大きく、同じ症状を抱えていた人たちから多数のコメントが寄せられた。

 「『言ってくれてよかった』という声をたくさんいただきましたし、私が神経内科に通ったと明かしたことで、どの科を受診すればいいかわからなかった方のお役に立てたのかなと。あらためて、公表してよかったと思いましたね」。

「気が狂ってしまう」ほどの“むずむず”、病気っぽくない病気だからこその葛藤

 足に不快感がある、むずむずして居ても立ってもいられない。そんな症状は、実は数年前からあったという。とくに入眠時に強くなるが、昼間でも車の後部座席など、身動きがとりにくいときに足に強烈な違和感が生じるそうだ。

 「当初は癖みたいなものだと思い、ずっとモヤモヤしながらも、なんとなく過ごしてきたんです。でも、6月の半ばにどうしようもできなくなるような出来事が起こってしまって。ちょうど寝る前だったのですが、足を動かさないと気が狂ってしまうぐらいむずむずして。よく『足の中に虫がいるようだ』とたとえられるんですが、まさにそう。足を切って、中を掻きむしりたくなるような感覚に襲われたんです」。

 症状に寝付けないまま、翌日はいつも通り家事と仕事をこなした生稲さん。知人の医師に相談したところ神経内科を紹介され、6月末、“レストレスレッグス症候群”と診断された。

 「とはいえ、まだ原因が解明されておらず、治療法もこれといったものがない。でも、私はある処方された薬を飲むと症状が緩和され、睡眠薬に頼らなくても眠れるようになりました。ただその反面、副作用もあって。私の場合は突然ガクッと落ちてしまう瞬間があるので、飲む回数を減らしたり、車を運転するときは飲まないようにしたりと気を付けています。でも、何より持っているだけでお守りがわりになって、気持ちが落ち着きますね」。

 現在は投薬治療が功を奏し、生稲さんは心身ともに随分ラクになったという。

 「病気っぽくないので、人に言うのが恥ずかしいという方もいらっしゃると思うのですが、言わないと周りの人も気づくことができない。足に異変を感じたら、まずは病院に行って、相談してほしいです。我慢してひとりで抱え込んでしまうのは、仕事などにも影響します。家族や周りにこの病気を知ってもらい、理解してもらうことが大事。そうすることで、フォローしてもらえることもあると思いますから」

乳がん公表をためらわせた仕事への不安、「失うものはあるけど、得るものもたくさんある」

 新たな病気と向き合うことになろうとも、決して自暴自棄にならず、すべてを前向きに捉え、母として妻として、そして芸能人・生稲晃子として、以前にも増してバイタリティーに溢れている生稲さん。

 「もともとは後ろ向きな性格だったのですが、乳がんを経験したことが大きかったと思います。再発を繰り返し、右胸全摘出したことで心は沈みましたが、気持ちを切り替えることが一番病に効くのかも知れないと思ったんです。心と体はつながっている、そう思うようになったら、少し前を向けるようになりました」

 とはいえ、乳がんが発覚した後、約5年の間はそれを公表することはなかった。そこには、仕事を失うことへの不安があったという。

 「健康番組のレギュラーをしていたので、番組の内容と自分の病気がそぐわないと思い、公表しないで出来るところまでやってみようという結論に至りました。でも正直、言ってしまったら仕事がなくなったり、もう自分は必要とされなくなってしまうのではないか…という不安と怖さがありました」

 そんな中で彼女を支え続けたのは、家族という存在だ。

 「家族が、あえて何事もなかったかのように普通にしてくれて。退院したその日に、夫は飲みに出かけてしまったくらいです(笑)。でも、それだけに私は家族に必要だし、私が死んじゃダメだと思えました」

 そんな時期を経て、公表に踏み切ったのは、乳房再建手術を行った後。「今なら笑顔で伝えられる」そう思った生稲さんは、ついに長い沈黙を破る。

 「苦しい、というのは絶対に言いたくなかった。私と同じような人に希望や勇気を持ってもらえたらいいな、少しでも幸せを感じてもらえたらいいなと思い、公表しました。でも、格好つけてそんなこと言っていますが、じつは一番幸せになれたのは私(笑)。公表することでずいぶんラクになりましたし、乳がんになって失うものはもちろんあるけど、得るものもたくさんあるんだと気づいたんです」

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