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場内放送室から見た王、長嶋の素顔…45年目にして最後のシーズン開幕、読売巨人軍“レジェンドウグイス嬢”の仕事の流儀
試合中に何度も場内放送室に立ち寄る長嶋監督の真意
「当時の神奈川県の高校野球といったら、東海大相模高校の原辰徳さんが大スター。『3番、サード、原辰徳君』なんてアナウンスしていました(笑)。今は巨人の監督と、場内放送係として携わらせていただいています」
そして1977年8月、巨人の場内放送係に採用され、球団職員となった山中さん。「45年の中で一番印象に残っている試合は?」と尋ねると、入団してすぐに体験した思い出を語ってくれた。
「入団してすぐ、見習いとして場内放送室に入った日に、王さんが756号ホームランを打ったんです。周りにいたスタッフは皆、世界記録達成の瞬間のために、最初の打席から緊張感をもって準備されていたのですが、見習いの私はただのいちファンとして、ワクワクしている状態で(笑)。自分がアナウンスを担当した試合じゃないんだけど、あのときの興奮と感動は忘れられません」
「王さんは実際に接してみても素晴らしい方でした。ただ、現役最後の頃は、その人柄ゆえに、チームの不振とファンからの非難を一身に受けているようなところがあって、頬はこけてげっそりされ、ちょっと怖さを感じました。でも、それくらいの責任感を持っているからこそ、あれほどの成績を残せたのでしょう。その後引退されて、助監督に専任されてからは、穏やかですごくいい顔をしていらして、本当はこういう方なんだよなって思いました」
同時期にもうひとつ、印象深い思い出がある。当時の巨人の本拠地である後楽園球場の場内放送室はダッグアウトのすぐ隣。そこにだけ冷房が設置されていたために、当時の主力である篠塚利夫(現・和典)氏や中畑清氏らが、涼みに来ては置いてあるせんべいなどのお菓子を食べていたそう。なかでも試合中、もっとも場内放送室に立ち寄っていたのは、当時、監督を務めていた長嶋茂雄氏だったそうで……。
「『お嬢さん、飴ある?』と言って、試合中に5回も6回も場内放送室にいらっしゃるんです。あまり何回もいらっしゃるので、『大きな飴を用意したらいいんじゃないか』という話になって、ある日、そうしてみたところ、監督は『デカイな』と言いながら食べて(笑)。それでもやっぱり何回もいらっしゃるんです。ところが、試合が終わって放送室を出たら、通路に舐めかけの大きな飴がいっぱい置いてあって。球団職員の方に、『監督は本当に飴が欲しくて来ているわけではなくて、試合中にイラっとするようなことがあったときなど、気持ちを落ち着かせるために来るんだよ』と教えられたのもいい思い出です」