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“濡れ場”のチェックに専門家を起用したNetflixの狙い 役者の尊厳と芸術性の担保「クリエイターファースト姿勢は変わらない」
表現の現場で進むハラスメントへの意識改革、オリジナル全作品に義務付けるリスペクト・トレーニング
事実、3月24日に公表された「『表現の現場』ハラスメント白書2021」によると、演劇・映像・音楽・アニメなどに関わる1449名中の1195名が、「過去10年以内にハラスメントを受けた経験がある」とアンケートで回答している。
こうしたコンテンツ現場ならではの悪習を改善するべく、Netflixが全世界のスタジオで導入しているのが「リスペクト・トレーニング」だ。これは業種や上下関係を越えて互いに尊重し合う気持ちを現場の共通認識とするための研修であり、コンテンツに関わるすべてのスタッフ・キャストがリスペクト・トレーニングを受けるまでは原則的に「カメラを回さない」ことを徹底している。
「トレーニング内容は各国の慣習や状況によって異なります。日本特有のハラスメントとしては『飲み会の強要』などがフォーカスされることが多いです。また『男性監督が新人女優を一対一の演技指導に誘う』といったコンテンツ制作現場ならではの具体的な事例を挙げながら、それぞれの行動において『そこに相手に対するリスペクトはあるのか?』と一歩立ち止まって考えることを意識付けしていただきます。その上で現場に入ったときに、すべての人が制作に集中できる環境を作るのが目的です。それでもハラスメントが起こってしまった場合のセーフティネットとして、各作品に携わる誰もが声を上げられるホットラインを設けることを義務付けています」(Netflix企業広報・東菜緒さん)
グローバルサービスであるNetflixの取り組みを受けて、“古い体質”がまだまだ残る日本の映画界も変わりつつある。最近では東映配給の映画『孤狼の血 LEVEL2』(8月20日公開)が、日本の映画会社としては初めてリスペクト・トレーニングを導入。白石和彌監督が「現場に笑顔が増えた」と、そのポジティブな効果を証言している。また、現在は実写作品に必須で導入されているが、今後は「Netflixのオリジナルアニメでも、クリエイターが働きやすい環境を作るために、最も適したフォーマットで検討していく」(東さん)とのことだ。
“センシティブなシーン”に新たに起用された専門家のインティマシー・コーディネーター
「インティマシー・コーディネーターは、すべてにおいて役者の尊厳を守るのが彼らの仕事です。たとえば現場でヌードになる際に、海外など職業として一定の理解があるような現場では『適切な前貼りがされているのか』などをチェックをしたり、あるいはセックスシーンにおいて『安全かつリアルな動き』を指導することもあります。また役者のメンタルケアを行うなど、カウンセラーとしての役割も担います」(東さん)
日本発のNetflixオリジナル作品で、インティマシー・コーディネーターを初めて導入したのが、水原希子とさとうほなみが出演する女性同士の愛の逃避行を描いた映画『彼女』(4月15日配信)だ。同作品のインティマシー・コーディネーターを担当した浅田智穂さんは、ハリウッドと日本の共同制作映画における監督やキャストの通訳や、ブロードウェイ・ミュージカルを日本向けにアレンジする監督やプロデューサーの通訳など、15年以上にわたりエンタテインメント業界で日英の通訳を担ってきた。通訳としての長年の経験、監督やキャストとの綿密なコミュニケーションをとってきた実績など、インティマシー・コーディネーターにふさわしい経歴を備えている。現在は、複数のNetflixオリジナル作品などのプロジェクトに関わっている。
インティマシー・コーディネーターは、台本によって必要有無が決まるため、必ずしもすべての作品が同じ段取りで進行するわけではない。映画『彼女』で浅田さんは、台本完成間近のプリプロダクションの段階から参加し、早期からキャストとのすり合わせを行ってきた。
インティマシー・コーディネーターはアメリカで始まった業種で、2017年頃にハリウッド女優たちがセクシャルハラスメントを告発した「MeToo運動」が誕生のきっかけとされる。アメリカにはインティマシー・コーディネーターを養成する機関が設立され、ケーブルテレビ局HBOがすべてのテレビ番組・映画に起用する方針を発表するなど、ここ数年で一気に普及が進んでいる。
「弊社が把握している限り、日本人のインティマシー・コーディネーターは現在2名。そのうち浅田さんは、日本発のNetflix作品に関わっていただくために弊社からお声がけしてアメリカを拠点とする養成機関でトレーニングを受けていただきました。ただ浅田さんは弊社の専属ではありませんので、今後はぜひ多くの日本の映画やドラマなどでも活躍していただくことを願っています」(東さん)
また、インティマシー・コーディネーターに求められるスキルとして、「撮影現場をわかっていることを前提とし、心理的なカウンセリングができる方が理想的」(東さん)という。
インティマシー・コーディネーターの存在によって、役者の尊厳が守られることは非常に意義深い。一方で、懸念されるのは作品への影響だ。クリエイターにとってNetflixを始めとするVODは、放送倫理検証委員会(BPO)や映画倫理機構(映倫)といった団体により厳格に規制されているテレビドラマや映画では実現できない“自由な表現”を追求できる場であり、またそうした環境は視聴者にとって「観たことのない作品」といった豊かなコンテンツ体験をもたらすものでもあるからだ。
監督が描きたいシーンを、役者の心と体を守りながら具体化するのがインティマシー・コーディネーター
しかしNetflixは「インティマシー・コーディネーターによって、Netflixのクリエイターファーストの姿勢が揺らぐことは決してない」と断言している。
「大前提として、インティマシー・コーディネーターは演出家ではないので、『このシーンはNGです』などとストーリーやクリエイティブに口出しする立場にはありません。むしろ監督が描きたいシーンを、いかに役者の心と体を守りながら具体化するかをサポートするのが彼らの役割です。Netflixはあくまでクリエイターの裁量と自由度を尊重し、表現についてのガイドラインは極力設けないようにしています。重要なのは『その表現がOKかNGか』と線引きすることではなく、適切なプロセスを踏んで撮影されているかどうか? ということなのです」(東さん)
こうしたNetflix側の説明を受けて、『サンクチュアリ-聖域-』の制作が快調に進んでいるという。
「むしろプロデューサーの僕としては、当初からインティマシー・コーディネーターの存在を心強く感じていました。僕らは映画が専門であって、メンタルケアの知識はありません。“センシティブなシーン”の説明や交渉をする際には、役者さんに不快な思いをさせていないか、監督の意図が適切に伝わっているか、いつも不安がありました。そうした役割を専門家にお任せすることで、映画制作そのものに集中できるのはありがたいことです」(藤田プロデューサー)
起用する基準は「センシティブ・シーンを含む作品」としている。ただし“センシティブなシーン”とひと言で言っても、その受け止め方は役者によっても違うだろう。たとえば軽いキスシーンならそれほど心理的・肉体的負担はないと捉える役者がいるかもしれないし、入浴シーンで肌を露出することに戸惑う役者もいるかもしれない。
「現段階では、センシティブ・シーンの明確な基準はなく、その点は制作や役者の意向を聞きながら、インティマシー・コーディネーターが関わっていくことになります。今後さらにこの職種が浸透していくなかで、そうした基準も含めて業務内容もアップデートされていくことが考えられます」(東さん)
Netflix共同CEO兼最高コンテンツ責任者のテッド・サランドス氏は「リスペクト・トレーニング」や「インティマシー・コーディネーター」について、「会社(Netflix)を守るためではなく、不適切な行為に対する感覚を研ぎ澄ますことが目的なのです」とアナウンスしている。つまりコンテンツ業界全体の意識改革こそが、これらの取り組みの狙いなのだ。VODの普及もあって、日本のコンテンツ業界もグローバルの動向を無視できなくなった。なにより健全な制作現場がコンテンツをさらに豊かなものにしてくれることに期待したいところだ。
(文/児玉澄子)
映画『彼女』本編映像
Netflix映画『彼女』
原作は、中村珍氏の「羣青」(小学館IKKIコミックス)。恵まれた人生を送るかに見えて、家族に同性愛者であることを隠していることに悩む永澤レイ(水原希子)。夫から壮絶なDVを受けている篠田七恵(さとうほなみ)。高校時代から同級生の七恵に恋をしていたレイは、七恵を救うために夫を殺害する。自分のために殺人まで犯したレイに疎ましさと恐ろしさを抱きつつ助けを求める七恵と、そんな彼女を救うためすべてを受け入れるレイ。互いに愛を欲しながら、絡み合わない想いをぶつけあう2人の逃避行を描く。