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おいでやすこが、“ピン芸”が漫才で認められた戸惑いも「僕のピン芸人人生ってなんやったんや」
やめたいと思ったのは100回以上 「ウケることは延命措置だった」
「小田さんに誘われたとき、単純に自分の幅が広がるかな、この活動が芸人としての自分の何かの芽になればいいなと思って、あまり重く考えることなくお受けしました。芸人として全然忙しくなかったので、お笑いの仕事が増えることは単純に精神衛生上も良かったですからね」(こがけん)
誘った小田はというと、コンビを組む目的は、「とにかくM-1に出たい!」という一心だった。
「’17年、’18年はゆりやんレトリィバァとコンビを組んでM-1に出たんですけど、僕は、とにかく賞レースが好きすぎるんです。賞レースは予選の緊張感とか独特の空気があって、普段の舞台の数十倍ためになるし、ハートが鍛えられる。よく準決勝には魔物がいるって言いますけど、準々決勝でバカウケした人ほど、準決勝では肩に力が入って、自分の本来のパフォーマンスが発揮できずにコケるんです。そうならないために、とにかく出られる賞レースには全部出て、経験を積んで、R-1に還元したいと考えていたんです」(おいでやす小田)
ピン芸人日本一を決めるR-1での優勝は、2人にとって最も身近な「叶えなければならない」目標だったという。
「そこからしか売れる扉は開かないと思っていましたから」(こがけん)
「R-1で優勝して、テレビに場を移すことを目指していました」(おいでやす小田)
「R-1には感謝しかありません。R-1に出場することで、年々、芸人として強くなっていったと思うし、M-1で決勝に進めたのもR-1の経験があってこそ。R-1は僕を育ててくれた恩人ですし、僕の人生はR-1なしで語れません」(おいでやす小田)
R-1を主戦場にピンネタを極めてきた2人だが、長い道のりの途中、「芸人をやめたいと思ったことは100回以上」。それでも続けられたのは、やはり「お笑いが好き」という気持ちだった。
「ライブでめちゃくちゃ爆笑をとっても、ランキングは下で、テレビに引っかからないことも多かったので、ウケた瞬間はめちゃくちゃ嬉しくても、次の瞬間、やめたくなることはしょっちゅうでした。でも、好きだから続けたくて。コロナ禍で仕事が完全にゼロになったときも、お笑いが好きだから、お金にならなくても、とりあえずモノマネの映像を撮ってネットにアップして。で、いいねがもらえたり、視聴回数が取れたりすることが自分にとって延命措置というか、AEDみたいな感じでした」(こがけん)
「僕は2016年にほんまに終わりにしようと思いました。でも、その年、初めてR-1の決勝にいけて、もう少しやってみようかと。ライブでは、コンビやトリオの間にピン芸人が入れられるんですが、ピン芸人は単純に人間の数が違うというハンデがありますから、しんどい戦いなんです。でも、その分、やりがいがあるし、コンビやトリオより自分がウケたときはやっぱり一番うれしい瞬間です」(おいでやす小田)