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父の一周忌が転機に…“お騒がせタレント”と呼ばれた梅宮アンナ、批判への「責任の取り方」
最愛の父を亡くして決意、『ちゃんと生きていかなきゃ』
――お父様の梅宮辰夫さんが亡くなってから、この12月でちょうど1年が経ちます。そんな今、新ブランドを立ち上げようと思ったきっかけは?
「去年パパが亡くなり、『ちゃんと生きていかなきゃ』、『ママを支えなきゃ』と思って、必死になっていたんです。でも年が明けたら、今度はコロナで世の中が止まってしまった。何もかも停滞しているけれど、そんなときだからこそ、『じゃあ、私はここで動こう』と決意したんです」
――もともと、動きたいという気持ちがあった?
「そうですね。5年くらい前から、『職業:タレント』と書くのはもう違うな、という意識がありました。小さいときから洋服が大好きで、自分の思ったものを着たいという気持ちが強くて。モデルをやりながら自分に合うものを学び、いつか自分のブランドを作りたいとは思っていました」
――この状況下では準備も大変だったのでは?
「パパが亡くなった後の手続き、ママのケアと並行しながら、スタッフと毎日のようにリモートで打ち合わせや会議を重ねました。ネットショッピングの心臓部分ともいえるサイトをカッコ良くデザインしてくれる人を探したり、ひたすら材料と作り手を探したり。この現状で積極的に動けたことには、自分でも驚きました(笑)」
「育児放棄」と言われた娘との関係、奮起し「ちゃんとした大人にしてみせる」
「はい。10年くらい前から、私が洋服を作りたいと言ってたのを彼女は知っていたんですが、『ママはやりたいって言いながら、形にしてないじゃん。人のものを紹介してる場合じゃないよ』と言われてしまって (笑)。本当にそうだなと思って、一気に動き始めたんです」
――鋭いところを突かれたんですね。
「娘とは何でも話し合えるし、センスはまったく違うけれど、一番身近にいる私のプロデューサーなんですよね。背中を押してもくれるけど、グサッとくる本当のことも言う。私のことを一番知っている娘がいたからこそ、やりたいことが実現できたんだと思い、私と娘の名前を足した『anmo』というブランド名にしたんです」
――小さい頃から寝室を分けたり、海外留学に送り出したり、育児に関して放任主義というイメージも世の中にはありましたが、すごくいい関係が築けてますよね。子育てに関して心がけてきたことは?
「『育児放棄だ』という言われ方をしたこともありましたが、それに一番怒っていたのは百々果でした。親子の関係って、100組いたら100通りの形があると思うんです。私は百々果に、早くから自立心を養うことで、自分で選び、今やるべきことをやれる人になってほしかった。だから、転んでも手は差し伸べず、自分で這い上がる力を持たせるようにしてきたんです。それを見た人から色々言われたりもしましたが、そのたびに内心、『ちゃんとした大人にしてみせる!』と思っていました(笑)。いま、18歳になった百々果はアメリカの大学に受かって、その先の人生を自分で考えられています。まだ18歳だけど、私が18歳のころとは時代が違うので、百々果の選んだことにダメと言ったことはないですね」