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ORICON NEWS
45周年『アタック25』加藤明子アナに聞く「出題」への矜持 今に活きる児玉清さんの“教え”とは?
局アナの私がまさか…緊張で震えた初回、児玉さんの一言で平常心に
加藤明子アナウンサーアナウンサーになって10年目という節目の年でしたが、打診されたときはびっくりしました。私にとっては前任の沢木美佳子さんの印象が強く、局アナのポジションとは夢にも思っていなかったもので…。また1976年生まれの私にとって『アタック25』は、物心ついた頃から日曜の昼下がりにいつも見ていて、子どもの頃には「今日は赤の◯◯さんを応援しよう」などとマイルールを作りながら楽しんでいた番組でもあります。全国ネットということもあり、関東に暮らす両親もとても喜んでくれましたね。
──最初の収録はいかがでしたか?
加藤アナミスのないように出題せねば……という緊張感で問題用紙を持つ手が震えました。当時は児玉さんが休憩時間にお客さんやスタッフにアメを配ってくださっていたのですが、私にも1つ手渡してくださりながら「うん、自然でいいよ」とおっしゃってくださいました。おかげで平常心に戻って臨めたことを覚えています。
加藤アナみなさんのご記憶の通りダンディで、あんなに背広の似合われる方も滅多にいないかもしれません。私の知っているお顔としては、非常に健啖家。フルコースの食事をした数時間後、〆にお蕎麦屋さんへ、なんてこともありました。昔は3本収録の日もありましたがまったく疲れ知らずで、お元気な児玉さんについていくのに必死でしたね。
──児玉さんからいただいた言葉で、今でも活きている教えはありますか?
加藤アナ児玉さんには、ご趣味の本から話題のニュース、政治などなどいろいろなお話を聞かせていただきました。気軽な雑談もたくさんさせていただきましたが、ご一緒して間もない頃、当時独身だった私に「つかんだものを時に手放すことも大事なんだよ」とふいにおっしゃったことがあります。当時はぜんぜんピンとこなかったのですが、人一倍お元気でいらした児玉さんが病に伏され、あっという間に逝かれたときに「人生は有限なのだ」と気付かされました。その後、私も結婚して「『アタック25』の出題者は卒業かもしれないけれど、出産して子どもを育てるという夢を叶えたい」という思いを強くしました。その背中を押してくださったのが、児玉さんの言葉とお別れだったような気がしています。