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“企画成立屋” 勝俣州和の矜持  とんねるず、ウンナン、ダウンタウンら大物芸人との秘話も

AKBが元祖じゃない! “会いに行けるアイドル”のフォーマットを作ったのはCHA-CHAだった

  • 元祖バラエティアイドルとして人気を誇ったCHA-CHA。後のSMAPらにも確実に影響を与えたグループだった

    元祖バラエティアイドルとして人気を誇ったCHA-CHA。後のSMAPらにも確実に影響を与えたグループだった

――勝俣さんはタレントになるという展望を昔から持っていたんですか?
勝俣州和実は僕、タレントを目指したことは一度も無かったんですよね。国語の先生になりたくて大学に行ったんですけど、狭き門で夢破れて。一世風靡に入ったのも根性を付けたくて入ったんです。根性を付けるためにオーディションに行ったらたまたま合格して。合格してもタレントなんてなれるとも思っていなかったので、「やったー! めっちゃ思いで作りできるじゃん!!」って。

――あくまでも記念としてのオーディションだった。
勝俣州和御殿場の田舎者が大学行くために東京出てきたけど一世風靡に運良く入ることが出来た。そこから欽ちゃんの番組に出て半年後にアイドルとしてデビュー。田舎じゃ全然モテなかったのにキャーキャー言われてる(笑)。

――とんでもない速さで急展開しますね。
勝俣州和自分でもワケ分かんなかったですよ(笑)。ただ、この夢を2、3年見れたらもういいなって思ってましたね。しっかりとアイドルや芸人を目指していた人は長くやれることを願うじゃないですか? 僕は本当に夢の中にポンと落とされたような状況だったから、24時間全てをそこに注ぎ込んでみよう! って思ったんです。

――永続性を求めると、どうしても“ペース配分”してしまうけど、それを考えずに完全燃焼しようと思ったんですね。
勝俣州和どうせ2年くらいで“覚める夢”だと思っていたので。アイドルなんて目指そうと思ってもなれるものでもないし、どこに行ってもワーキャー言われる状況というのが現実とはとても思えなかった。じゃあ、この夢に全力投球してみようと。当時、アイドルグループはCHA-CHAと光GENJI位しかいなかった。じゃあ、諸星和己にどうすれば勝てるんだ?って24時間考えて。光GENJIが“ザ・アイドル”的なアプローチだったから、だったらCHA-CHAはコンサートの中でドリフターズのようなコントを入れたり。実は初めてファンとの握手会をやったのもCHA-CHAだったんですよ。

――現在のAKBに繋がるフォーマットを確立したのがCHA-CHAだった!
勝俣州和光GENJIにできないことは何だ?って考えたときに、彼らは分刻みのスケジュールでファンとの直接的な交流なんてできない。ファンの方からも「直接握手がしたい、プレゼントを渡したい」という声を頂いたんです。だったら全国を回ってレコードを購入してくれたファンの方と握手会を行ったんですよ。

――初めての“会いに行けるアイドル”だったと(笑)。
勝俣州和AKBじゃない! 元祖はCHA-CHAだったんですよ(笑)。 これはね、僕たちがスターでは無かったから気付けたことなんですよ。元々テレビっ子だったから「なんでスターに会えないんだろう? じゃあ会えるための仕組みを作っちゃおう!」って導き出したのが握手会だったんです。

欽ちゃんからの洗礼! 週5日、毎日12時間の稽古で“1番セカンド勝俣”を確立

――超が付くほどのテレビっ子がテレビの世界に入り、タレントとしての目と視聴者としての目をバランスよく持てたのが良かったんでしょうね。今の若い世代では想像が出来ないでしょうけど、当時のCHA-CHAは“喋れるアイドル”を確立して、後のSMAP以降のアイドルたちにも多大な影響を及ぼしましたからね。その生みの親である萩本欽一さんからは具体的にどのような洗礼を受けたんでしょうか?
勝俣州和「とにかく手を挙げろ。何も無くても手を挙げろ」。これが僕に課せられたことでした。とにかく最初にかき回せと。1時間の番組を作るのに、週5日12時間稽古でしたから。週1回の放送のためにここまで時間を割いてましたからね。だから、自ずと鍛えれますよね。出来なくて泣くヤツもいたけど、僕は「なんで泣くんだろう? テレビ出てこんな楽しいのに」って思ってましたね。

――辛いなんて微塵にも感じなかったと。
勝俣州和全く辛いとは思わなかったですね! こんな楽しいテレビという世界で遊ばせてくれるのに!って(笑)。辛いと感じた子は“稽古”だと思ってしまう。でも僕は本番までの“練習”として考えていたんですよ。欽ちゃんがノックをしてくれるなんて、そんなの夢のような時間でしたよ! “1番セカンド・勝俣”じゃないけど、とにかく打席に立って振って来いと。でも、見逃しの三振だけはしちゃいけない。とにかく当てて塁に出るということを欽ちゃんに仕込まれましたから。つまり、“面白い、面白くない”ではないんですよ。そんなことはどうでもいいから、とにかくバットを振れと(笑)。

――“1番セカンド・勝俣”という立ち位置は、当時の勝俣さんを象徴するスタンスですね。
勝俣州和そうそう。それが経験を重ねていくと“2番”を打たせてもらうときが来て、バントで次に繋げるような流れを作ったり。色々な役割も担えるようになってくるのが、自分の成長を直に感じることが出来たので楽しかったなぁ(しみじみ)。

――信頼と打率でレギュラーポジションを勝ち取っていくわけですね。
勝俣州和そうですね。で、とんねるずなんかと共演するようになってくると、また打順も変化が生じてきて。あの人たちは常にクリーンナップを打つような強打者なので、そんな化け物と共演するようになって、僕自身も徐々にホームランが打てるようになってきた。なぜなら彼らが教科書のようにホームランの打ち方を間近で見せてくれたから。

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