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山崎まさよし、“俳優”の肩書に抵抗していた過去「Wikipediaを見ても違和感があった」
“俳優”という肩書が一般的な認識ならば「腹くくらんと」という気持ち
山崎まさよしそうですね。まあ泥棒っていうのは……底辺の境遇にいるわけじゃないですか。でも、税金だって収めているかもしれないし、生活の基盤自体はさほど変わらない。となると「共感」とまではいかないけど、真壁という男の気持ちも分からなくは無いかな。
――長編主演作でいえば実に14年ぶりになるわけですが、その辺り気負わなかったですか?
山崎まさよし普段ソロでツアーを回ってますが、それって座長公演みたいなもんじゃないですか。だから主演することを「座長」に置き換えることによって、日ごろと変わらない心持ちになれたかなと。
――ブランクがあっても、実に自然に演じられていたのが印象的でした。山崎さん自身どう役柄を作り出していったのか気になるところでして。
山崎まさよしいや、「作る」じゃなく「作れない」んです。僕自身、監督からフラットな気持ちで臨むことを望まれてると思うんですよね。スケベ心を出して、「こうゆう泥棒を演じてみたい」って行ったら「いや、そんな事しなくていいよ」って言われそうな気がするし(笑)。
――改めて「シンガーソングライターであり俳優」という肩書がふさわしいなと思いました。
山崎まさよしあの、僕のWikipediaを見ると、シンガーソングライターの後に「俳優」って書かれているんですよね。内心ではずっと抵抗し続けてたんですけど。ただまあ、シノさん(篠原監督)とは4作目なるし、「十分やっとるやないか」って感じですよね。
――でもあれは自分で編集が出来ますよ。
山崎まさよしあ、そうなの?消そうかな(笑)。まあでも、そう書かれているのであれば、世間一般的な認識とも捉えられるし、「腹くくらんと」という気持ちですね。
今ではプロフィールを楽しんで見られるようになってきた
山崎まさよしたしかに、『月とキャベツ』に出たことが転機になったと思っています。音楽も演技も「総合芸術」という括りの中ではセクションのひとつであり、重さも一緒ですね。今回は来年で活動25周年だし、ちょうどいいキッカケになるんではないかと。
――どちらにおいても守っている仕事観ってありますか?
山崎まさよしオーディエンスの人とかけ離れたことをするのは止めようとは思っています。こういう仕事って華やかに思われるじゃないですか。でも僕は無理に華やかにしたり派手にしたりするのは得意じゃない。だから今普通に暮らしてる人の傍らに「漂う」物を作ろうとは思ってます。
――音楽性を踏まえてもすごくしっくりする言葉ですね。
山崎まさよし趣味だって実にこじんまりとしていますしね。木を彫ってなんか作ってます。包丁のスタンド作ったり、棚を作ったり……あと楽器のスタンドもか。作業していると落ち着くんですよ。
――それは音楽などの制作物にも作用していますか?
山崎まさよし主観と客観をうまい具合に使い分けられるようになるといいますか。音楽は自分主体でやってるから、生み出されるものに主観が伴いがちですけど、「これ人が聴いたらどないなるんやろ」って客観して立ち返ることができる。物を作る時は主観と客観のバランスの取り方が大事だと思うから、そこは活かされているのかなと。
――今回の映画でまた「俳優」としても注目されると思うんですが、この先またお話が来たらどうしますか?
山崎まさよしもし音楽作品に手をつけてる時だったら「ちょっと考えさせてくれ」ってなるかもしれないですが、とりあえずいったん脚本を読ませていただいてって感じですね。以前「山崎まさよし本人役」って来たのには驚きましたけど(笑)。
――コンスタントに出演するとWikipediaの「俳優」の肩書が消えないですね。
山崎まさよし消えないです。消えないですけど、もういいです(笑)。書かれて20年以上経つと、プロフィールが本人を離れている感覚になるんですよね。でも、実際に自分はここにいて普段通りでいるし、それでいいんじゃないかな。もっと大仰な事になっていくのも面白いかもしれないですね。
Information
『64-ロクヨン-』シリーズなどの原作者・横山秀夫の小説を映画化。夜に盗みを働く主人公・真壁修一が、さまざまな事件に関わりながら生きる姿を描く。主題歌を主演の山崎が担当し、プロデューサーに谷口正晃監督作『時をかける少女』などの松岡周作が名を連ねる。現在公開中
https://kagefumi-movie.jp/