最年少にして唯一の女性銭湯絵師、失われつつある日本文化の継承への思い「職業として経済的な安定が課題」
銭湯ペンキ絵師という“肩書き”への注目度の高さ
「女性に関わるものとしては、結婚や出産への希望があります。状況によってどのように仕事のプランを立てて経済的な準備をしておく必要があるのかも変わってくるので。長く仕事を続けたいのであれば、いろいろなことを逆算して人生設計を立てないとなかなか厳しい世界ではあります。とはいえ、すべての方とお話ができるわけではなく、順番や運もあります」
女性にとってさまざまなハードルがある一方で、日本文化を継承する職業であるにも関わらず、わずか3人しかいない銭湯ペンキ絵師という“肩書き”への注目度は高い。田中氏は、近年、海外からの取材も増えているとし、「職業として注目していただいているということは感じます。ただ、銭湯関連の仕事では、特殊な分野の職人がたくさんいるので、SNSなどで情報が得やすい分野だけではない仕事に関心が広がればと思います」。また、“職人の仕事”に対しては「名前を出さずとも、仕事がわかる人にはわかるという形でやってきていた工芸的な側面が忘れられ、個性をアピールする近代の遺物とも言える感覚が未だはびこっているのだと思うことも多いです」と本職の立場からの思いを語ってくれた。
こうした世の中のさまざまな動きもあり、職業としての銭湯絵師の認知度が上がるとともに、“絵描きのプロ”として生きていく道のひとつとして、弟子入り志願をする美大出身者も増えているという。
「ただ、銭湯ペンキ絵師というのは絵描きである以上に、職人としての側面が大きいんです。題材も基本的に依頼主の希望に沿って描くわけですから、アーティストとしてのアイデンティティを追求したい方には難しいかもしれません。美術史的には、幕府や貴族の御用絵師に近いですね。もちろん狩野派のように、同じモチーフを描いていても個々の絵師の個性というのはどうしても滲み出てしまうもの。そうしたおもしろさを理解したうえで、自分の仕事に常に問いを持って、それをクリアするということを繰り返していける方は向いていると思います。とはいえ、今の自分には弟子をとる技術も技量もないので今後の課題でもあります」
職業としての経済的な安定が後継者問題のひとつのテーマ
銭湯ペンキ絵とは、湿度の高い環境での劣化もあり、2〜3年置きに描き直しがあるが、銭湯が減少しつつあるなかで、需要は決して多いわけではない。それを補うための取り組みとして、見習い時代から田中氏は「広告メディアとしての銭湯ペンキ絵」復興のための取り組みを続けてきた。東京・神田にある稲荷湯では、近隣の商店から広告を募る仕組みを確立させている。また、冒頭で紹介した企業PR案件もそのひとつで、映画のほかにも自動車メーカー・Audi Japanをはじめとする大型案件も実現させた。
内湯が普及した現代は、日常的に銭湯に通う人が減った一方で、近年はそのレトロな雰囲気を生かしてイベントスペースとして活用されるケースが目立つ。また、レジャー的に銭湯に足を運ぶファンも増えているほか、サバンナ・高橋茂雄や俳優の磯村勇斗など銭湯好きを公言する多くの芸能人のメディア発信の影響もあり、ここ数年は1日1浴場あたりの平均入浴者数も上向きになっているという。
こうした追い風も受けるなか、田中氏は銭湯ペンキ絵の奥深い魅力を熱く語ってくれた。
「文人画などを観ていると、絵のなかの人物と気持ちがシンクロするとよく言われますが、実は私も長いことピンと来なかったんです(笑)。ところが、銭湯に入ってぼんやりペンキ絵を眺めていたら、自分自身もお湯のなかでゆらゆら揺れていたこともあって、描かれた雲と湯気が重なり、絵の風景に入ったような体感があったんです。絵と自分が自然と一体になる、その感覚をぜひ味わっていただきたいですね。そして、ペンキ絵には銭湯店主の趣味や地元の名所など『その銭湯らしさ』が出ることも多々あります。絵をきっかけに、銭湯のことをもと知っていただけたらありがたいです」