映画人・斎藤工としての立ち位置 適材で関わることが大切「仕上がり至上主義でいたい」
作品に罪はあるのか?ノーカット公開への想い
斎藤工公開の発表があるまで、どうなるかわからない不安のなかを過ごしました。その日を迎えられることを本当にうれしく思っています。
――今回の件に関しては、どのような想いですか?
斎藤工どの作品も公開までにはいろいろありますが、この作品は難産続きで、これからもまだどうなるかわかりません。(ピエール瀧容疑者の)第一報を受けたときは、その状況を咀嚼できませんでした。映画やドラマにとって重要なピースだった方がこういうことになり、いろいろな作品で苦しむ人たちがいて、これから起こることは計り知れない。そんなうねりのはじまりを見ているような恐ろしさがありました。誰よりも苦しい思いをされている白石監督をはじめ、現場の全員が作品を観客に届けることをゴールに、その一念で作ってきましたので、東映と白石監督が英断してくださったことにホッとしています。
俗世にまみれた“壁ドン俳優”から脱した作品との出会い
斎藤工僕にとって、あるキャラクターを得て、それをただ引き延ばして生涯を終えるということほど、残酷な未来はないと思っています。この作品に限らず、毎作品、演じるキャラクターをアップデートしたいという思いが強い。一方、僕自身のイメージが定着していくことは嫌ではないのですが、人は多面的なものだと思います。その意味で、振り子式に反動を使っていろいろなところに行きたい。この題材で白石監督とがっつり四つに組めたことは、大変恵まれていると思います。その反動で次にどこに行けるのか楽しみです。あと、『団地』(2016年)で阪本順治監督と出会えたことも大きかった。あの作品がなければ、いまでも俗世にまみれた“壁ドン俳優”という位置づけにいたかもしれません(笑)。
――『団地』は強烈でした。
斎藤工映画少年だった自分の目線がベースにあるので、藤山直美さんや岸部一徳さん、石橋蓮司さん、大楠道代さんと一緒の作品に出ている環境が信じられない時間でした。
斎藤工映画人として意識していることは、一番遠いところと、一番近くに映画を届けたいということです。遠くは海外で、近くが「cinema bird」の活動。海外の映画祭に行くと、役者や監督という役割分担ではなく、みんな映画人という括りです。日本人の職人気質も美徳だと思いますが、娯楽の世界において、その人の持ち味がどこで活かされるかを模索し続けるのもいいと思っています。日本にも若い才能がたくさんあるのですが、活躍の場がない悔しさを感じることがあって、もっと世界に出たらいいと思うことが多々あります。