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クリーンな業界願う叫び? 山田孝之、斎藤工、池田エライザ…“俳優監督”相次ぐ理由
ジョニー・デップやアンジェリーナ・ジョリーも苦戦、“俳優監督”ヒット作の壁
また、WOWOW開局30周年を記念して企画された『アクターズ・ショート・フィルム』(2020)では、津田健次郎、柄本佑、森山未來、磯村勇斗らが短編映画監督に挑戦。今年2月の第2弾では、永山瑛太、千葉雄大、前田敦子らが監督を務めた作品を発表。全作品が「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア 2022(SSFF & ASIA 2022)」ジャパン部門にノミネートされた。
のんや池田エライザら若手俳優も数年前から監督業に精を出しており、原案から配役、脚本なども自ら手掛けている。さらに、今年のプルーリボン賞受賞を受けて、岡田准一が「65歳までには監督をやりだすかも」といった発言も話題に。過去には、津川雅彦や田口トモロヲ、桃井かおり、小栗旬、黒木瞳、オダギリジョー、水谷豊、浅野忠信らも監督業に挑戦しているが、北野武や竹中直人、故・伊丹十三さんのように、ヒット作や国際的評価を獲得した俳優監督は数少ない。
これらの動きは海外では古くからあり、ジョニー・デップやアンジェリーナ・ジョリーなど、数多くの名優陣が監督業に挑戦している。制作陣に声をかけられなければ立つ舞台がない役者が、好きな作品を好きなように作りたいと思うのは全世界共通で自然なことだろう。だが、ジョニー・デップほどの役者でも、脚本・監督・主演を担った『ブレイブ』(1997)はヒットに至らなかった。
興行収入、話題性、映画ファンからの好評という意味で成功したと言えば、クリント・イーストウッド、ロバート・レッドフォード、ベン・アフレックらの名前が挙がる。「あくまでも一部の成功例からの結果論に過ぎませんが」と前置きするのは、メディア研究家の衣輪晋一氏。
「イーストウッドは1970年代から監督を務めていますが、彼はエンタメ系俳優であることで批評家から酷評もされていたフラストレーションがまずありました。自身がオスカーを取れないことに関しても『自分がユダヤ人ではないから。またアカデミーの老害に(軽薄な映画で)金を作りすぎるから。重要なことに審査員と寝てないから』と毒を吐いていた。内にルサンチマンや暴力性を秘めているという意味では武さんも同様。“映画を創りたい”と考える心の土壌が伝統や歴史、お歴々に爆撃された焼け野原であることは、創作者が成功する一つの条件かもしれません。韓流映画が強いのも同じ理由もあるでしょう」(衣輪氏/以下同)
全くの“別仕事”である俳優と監督、要は北野武が持ち合わせていた芸人としての“客観性”
これについて山田孝之は「俳優は『心』が主。もちろん客観性も必要で、頭で考えなければならない部分もあるんですけど。プロデューサーと監督は使う脳みそが逆でした」と語っている。
一方、日本の俳優は商業映画に出続けている反動からか、自らがメガホンを取る際に“作家性”、“芸術性”を求める傾向が強く、商業的成功を収められない傾向が高い。武の映画も海外では評価されているが、日本での興行収入はそうでもないとよく自虐的に語っている。
自身の内面にある“作家性”を出したい。これ自体は素晴らしい。だが衣輪氏が先述した「作家としての土壌」、また客観性がなければ独りよがりと捉えられてしまう。
高齢俳優の生き残り合戦、過酷な労働環境、ハラスメント問題… 変化求められる映画界
それでも山田孝之は、後世のために業界を変えたいという思いからプロデューサー業・監督業に携わっていると明かしている。過去のインタビューにも「日本映画界をなんとかしたい。ハリウッドの俳優が出たいと言う場にしたい。自分が出ていくよりも、今自分がいるこの場所をなんとかしなければ」と記述がある。斎藤工も、自身が手掛ける作品の撮影所には託児所を設置。撮影現場で働く女性の多くが、妊娠・出産を機に辞めざるを得ないことへの問題意識からだったという。
とはいえ、オダギリが「苦しみからしか何も生まれないと思ってる」と発言していたように、俳優にとって働きやすい環境作りが必ずしも良い作品に繋がるとは限らない。クリエイターとしての欲求から生まれる監督業という志向も無いと、“手段としての監督”や“話題性”の意味合いが強くなりすぎてしまう。俳優に寄り添う作品作りではおそらく何も変わらない。心の焼け野原に落ちた一本の蜘蛛の糸を必死で這い登るような、そんな気骨ある邦画を待ちたい。
(文/西島亨)