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(更新: ORICON NEWS

個人間売買発達の一方、店舗型『ハードオフ』売上伸長のワケ「『メルカリ』さんの登場はむしろ追い風」

バブル崩壊による倒産寸前から起死回生の一手が「リユース」

 ハードオフが新潟県新潟市に1号店をオープンさせたのは1993年。もともとは今から50年前の1972年に、現会長で創業者でもある、現社長の父・山本善政氏が、全国的なオーディオブームを背景に“本物志向”を特色としたオーディオショップ『サウンド北越』を、新潟県新発田市に創業したことに始まる。

「しかし1991年、バブルが崩壊します。これにより、『サウンド北越』の売上は大幅に低下。高級商品を取り扱っていたこともあるからでしょう、倒産寸前まで追い込まれました。生きるか死ぬか、そんな瀬戸際にスタートしたのが、使わなくなったものに再び息を吹き入れるリユース事業。実は同店は下取りを行っており、その分安く新品を販売するサービスを行っていたのです。その中古在庫をガレージセールとして販売したところ意外と反響がありました。そこで『これからはエコロジーの時代だ』と父は考えたようです」

 だがこれは早速、暗礁に乗り上げる。古くから質屋の文化や、1970年代ごろから、リサイクルショップ(2000年の『循環型社会形成推進基本法』を境に『リユースショップ』という名称が一般化)は存在したが、当時はデータを示せるほどの市場規模ではなく、銀行にも「エコロジーとか、意味がわからない。そんなのが儲かるわけがない」と一刀両断された。それでも、その可能性に懸けた善政氏は、必死の資金繰りで知人を説得、社員にも協力してもらい何とか、第1号店をオープン。すると、日本経済が、バブル崩壊から不況の時代に突入したこともあり、第1号店は盛況となっていく。

「バブル崩壊前、人々は物を消費していました。大量生産、大量消費で多くのものが買うだけ買われ、それらは使われずに家で眠っているか捨てるかされている“豊か”かつ“消費”ばかりの“もったいない”時代。新品市場の何倍も『不要品』が家に眠っている。生活がある程度豊かになって、物が家からあふれ出しているタイミングだったのかなと思います」

人々の中古品へのマインドの変化を背景に全国拡大

 バブル期の名残りで家に眠っていた「不要品」の整理により、商品が充実するとともに大きく変わったのは、人々の「中古品」に対するマインドの変化。ハードオフでは、それまで街にあったリサイクルショップや、リユース品のイメージであった「汚い、臭い、感じ悪い、カッコ悪い、危険」の5Kの真逆である「綺麗、臭くない、感じの良い、カッコ良い、安全」という「逆5K」を施策としてを掲げ、明るく清潔に、入りやすい店舗を目指した。さらに、中古品でも新品同様、お客さんに安心してもらえるよう保証をつけたという点も大きいという。

「中古でも新品同様に、お客様に安心して商品を購入していただけるよう、一部商品に保証書を付けていました。また、『逆5K』を行ったこともあって、中古品や当時のリサイクルショップにあった『安かろう、悪かろう」というイメージがなくなり、中古への抵抗感が減って、受け入れられるようになったのではないかと思います」

 1993年の1号店設立から翌年には、フランチャイズ(FC)事業がスタート。バブル崩壊のあおりを受けて潰れかけた全国の電器店、オーディオショップが、ハードオフに救いを求めた。「弊社はフランチャイズ募集は一切かけていません。弊社の理念に賛同してくださる方だけと握手をしました」(太郎氏)が語るように、自然とFC店舗が全国に拡大。2000年には200店舗突破。現在は900店舗を超えている。

「弊社はフランチャイズの店で働く人、地域性に合わせ、どんどん個性を出してもらいたいと思っています。理念と基本的な運営方針を守れば個性はOK。故に『ハードオフグループ』の900店舗、それぞれがまるで別の店のような面白みもあるのです」

『ハードオフ』の最も大きな“個性”と言えば、『ジャンク品』(壊れている物)の販売だろう。その始まりは、1人の従業員のアイデアに由来する。

「元々、機械いじりなどが得意な従業員が多いので修理して使えるようにして販売しているのですが、中には修理ができないほど壊れたものもありました。そんなある時、1人の従業員が、『ジャンク品の需要もあると思います。新聞紙一枚分のスペースでいいので販売のコーナーを作らせてください』と訴えてきたのです。一般的に、壊れているものが商品になるわけないって思うじゃないですか。でもその従業員の真摯な姿勢に、『そこまで言うなら…』と、始めてみたんです」

 これが思わぬ大ヒットをする。まずとにかく安価なこと。その上で、例えばラジカセでCDが壊れていてもラジオだけが聞ければいいという人や、その製品の中の“部品”が欲しいという人、壊れたものを修理したい人などがジャンク品を求め、まったく想像だにしなかった需要があったのだ。

「まさか壊れたものを欲しがる人がこれほどいるとは…。ちゃんと動くものじゃないと売れないと思っていたのは完全な“思い込み”でした。今では、新店をオープンすると並んでいる人がみんなジャンクコーナーに行くんです。『壊れてますよ、保証付きませんよ』と思うんですけど、それ以上に『何かあるかもしれない』というワクワク感が勝っているようなんです。今後もジャンクコーナーに磨きをかけていこうと思っています」

「メルカリさんの登場で“リユース”が大衆化」専門家のいる店舗で物を見られる安心感が強みに

 こうして、リユース業界で拡大の一途をたどってきたハードオフ。だが先述の通り、スマートフォンが一気に普及した2010年頃から、『メルカリ』『ヤフオク』といった、お店を通さない個人間売買が大きく発達し、リユースショップの倒産が増えたというのも事実。思わぬ“ライバル”の出現に、大きな打撃を受けたかと思いきや、同社は意に介さない。

「特に『メルカリ』さんの登場によって、“リユース”が大衆化しました。弊社は2000年に、リユース業界で初めて、株式上場し認知度も上がりましたが、リユースが大衆化するまでには至らなかった。それが今では、SDGsの流れもあるし、メルカリさんが裾野を広げてくれるので、リユースが当たり前になってきている。弊社にとってもとても大きな追い風となっています」

 リユースの大衆化という恩恵があるとはいえ、本当に影響はなかったのだろうか?

「数千〜数万円の品を扱っていた企業やアパレルなどを取り扱っていた企業は大きな打撃を受けたと思います。弊社も確かに、若い世代のアパレルなどの取り扱いもあるので、一部のお客さんを取られているという感覚はあります。でも、弊社が得意とするオーディオや楽器など、何十万円もする高額の品はCtoC(お客さんからお客さんの個人間売買)よりも、やはり店舗で購入する方が安心感がある。買うにしても売るにしても、専門知識があって、思いも汲んでくれる専門家に、見てもらいたいと考える人が多いのは当然の理。そこが店舗の魅力かなと思います」

 それ以外にも個人間売買よりも『ハードオフ』を選ばれる理由があるという。

「弊社の顧客層は30〜60代の男性が多い。メルカリさんなどは女性層をターゲットにされていると思うので、そこが異なります。また、1つ1つの商品の写真を撮って出品し、梱包して送るという、時間もストレスもかかるような作業をするよりは『ハードオフ』に持っていく方が手っ取り早いと考える人も多い。また、購入する人も、そういうもののなかから掘り出し物を見つけたいという思いがある。それらが弊社の強みです」

 また、これまでリユースショップがプライスリーダーだった“相場”という概念は、個人売買の発達により、値段が高騰するなど、これまであまりなかった“荒れる”ような現象が起こったが、その影響はあまり感じていないという。

「確かに、売り場でスマホを見ながら、その価格が“適正”なのか見るお客様は圧倒的に増えました。でも中古品は、同じ型番の物でも、傷の状況など1つ1つすべて状況が異なる。同じものは1つもない“一点物”というところに自信を持っています。また、リアルな店舗で物を見て、保証もついている。そういったところに強みがあるので、そこまで相場を意識してということはないですね」

 リアル店舗だけでなく、ネット販売もしているが、自社サイトのなかで運用しているため手数料を支払う必要もない。これによって儲けが損なわれることなく、右肩上がりの成長につながっている。

 現在は海外にも展開。実はリユース文化は海外にはあまりなじみがなく、特に台湾は使えなくなったら捨てるという文化。アメリカだと寄付のような形であるため、サービスとして日本のように発展してない。今後は海外にも目を向け、「リユース文化という“日本文化”を輸出していきたい」と太郎氏は語る。ハードオフが今後どのような発展を見せるか、リユースというジャパニーズカルチャーがどのように世界に広がっていくのか、楽しみだ。

取材・文/衣輪晋一

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