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「なまりを消すぐらいなら女優はやりたくない」王林、りんご娘卒業後も青森を拠点に活動する覚悟
続けたかったアイドル活動、卒業を決めたメンバーの言葉「もうこれ以上涙は出ないと思うぐらい、泣いた」
王林応援してくださった方たちを驚かせて、悲しい思いをさせてしまって、本当に申し訳ないなという気持ちが大きかったです。なんとかして続けたかったんですけど、コロナ禍で活動も制限されていた中、メンバー全員が将来について考えて出した結果なので…。なかなか気持ちの整理がつかないけれど、私もみんなを応援しようと決めたので、同じように思ってもらえたらすごくうれしいです。
――決断に至るまでは、かなり悩まれたのでしょうか?
王林どうにかして引き止めなきゃと思ったんですけど、活動が止まっていた時期が長くてメンバーが不安に思っていたことも知っていたので。やめたくないという気持ちと、みんなが将来のことを考える気持ちと、両方わかった分すごく複雑でした。何度も話し合いを重ねる中で、もうこれ以上涙は出ないだろうなってぐらい泣きました。
王林本当はりんご娘20周年の全国ツアーをする予定だったのが、コロナ禍で中止になってしまっていたんです。ファンの方たちにも約束していたから、その状態で辞めるのは裏切ることになると思ったんですよね。でも、メンバーの“とき”が、「りんご娘はこれからも続いていくグループだから、今後のりんご娘に期待してもいいんじゃないか」って。確かに今までそうやって続いてきたグループだし、それも一理あると思いました。
――続けたいという気持ちが強かった王林さんだけが、卒業せずに残るという選択肢はなかったのでしょうか?
王林そういう話もありました。でも、このメンバーとりんご娘をやることに意味を感じていたから、次の世代に受け渡す時なのかなと思いましたね。
明石家さんまは“口達者な親戚のおじさん”「ブレないね」と評価された喜び
王林方言も含め、青森の文化がどんどん薄れていっているのを感じていたので、なんとか青森のよさを知ってもらえたらと言う気持ちで出演しました。出演後は地元の人からの反響も大きかったですし、青森出身の方から、「テレビから青森の訛りが聞こえてきてうれしかったです」って連絡をいただいて、本当によかったなと思いました。
――明石家さんまさんとの共演はいかがでしたか?
王林実は、小・中学生の頃に『さんまのスーパーからくりTV』(TBS系)内のコーナーで出させていただいていたんです。その時からお世話になっているので、大御所のタレントさんというイメージより、“口の達者な親戚のおじさん”ぐらいの感覚でした(笑)。
――印象に残っているさんまさんの言葉はありますか?
王林青森を盛り上げたいっていう気持ちはずっと変わらないので、「ブレないのがすごいね」って言っていただきました。私の中では、さんまさんは東京のテレビで関西弁が流れるようになった第一人者。東京でずっと関西弁のまま活躍されている部分もすごく尊敬しています。
――たしかに、王林さんの津軽弁はかなりインパクトが大きいです。
王林方言って本当にすばらしくて、伝統あるものだと思うんです。関西弁はいいのに、なんで青森のなまりは恥ずかしいっていう風潮があるのかなと思っていて。「女優とかやりたくないの?」って聞かれることもありますけど、私はなまりを消すぐらいならやりたくないんです(笑)。