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“和菓子離れ”の危機が生んだ「桔梗信玄餅」 “食べられる容器”からも伝わる老舗の常識破り
山梨の風習をヒントに洋菓子に対抗、同業者からは「売れるわけない」「非常識」の声も
「山梨県のお土産と言えば生の果物や、それを使ったお菓子で一年を通して販売できるものがなく、非常に不便な状態でした。そこで、一年を通して販売可能なお土産をと開発したのが桔梗信玄餅です」(桔梗屋六代目社長・中丸純/以下同)
「きちんとした包装を機械で行いたかったのですが、当時は高価な機械を購入するお金がなく、仕方なく手作業で結んでいたことが始まりです。今では、手で包む風呂敷包みがトレードマークになっています」
当時はこれまでにない形態の和菓子だったため、同業者からは「あんな変なものが売れるわけがない」「非常識なお菓子だ」と冷ややかな声が挙がっていた。しかし、甲府駅前の饅頭屋で郷土土産を全面に押し出し売り出すと、瞬く間に売れた。
「風呂敷包みや別添えの黒蜜が『めんどくさい』というイメージがないか心配でした。しかし、遊び心がある新しいお菓子という考えで思い切って発売したところ、すぐにユニークな包装も話題となり、お客様から大変好評をいただきました」
「国産の餅粉を蒸してからグラニュー糖、水あめを30分かけて練り込んでいきます。練り上がったばかりの餅は甘みが強くトロトロと柔らかいですが、1〜2日寝かせて冷まし固めることによって、弾力と甘みが丁度良くでます。黒蜜は、一般的に黒糖をベースにつくりますが、弊社の黒蜜はサトウキビを原料としてつくる蜜をベースに、精製糖と黒糖を加えて炊き上げていく独自の製法で作ります。鉄分・ミネラルを多く含みますが、黒糖独特の苦みや雑味を抑えることで、砂糖本来の旨味を引き出しています」
「容器も食べられるようにして」1通のファンレターの声を半世紀かけて遂に実現
「発売当初は箱入りとビニール袋入りの販売でしたが、その後、当時はまったく新しい不織布の入れ物で発売したり、近年は、桔梗信玄餅のお餅、きな粉、黒蜜を使用したロールケーキやプリンなど、桔梗信玄餅のDNAを受け継いだお菓子を開発したり、創業以来ただ伝統を重んじるだけでなく、その時代時代に合わせてお客様のご要望やご期待に沿えるような商品やサービスを提供することを目指した結果だと思います」
「“食べられる容器”を決定するまでに、さまざまな食品を試しました。その中から、餅やきな粉、黒蜜と相性の良い最中を使用すると決め、今度は最中の強度を高めることや作業性、販売価格の問題などでなかなか実現することができませんでした。また、従来の桔梗信玄餅の販売量が年ごとに増加している為、その生産増を実現するための努力もありましたので、桔梗信玄餅極の発売までに約50年かかりました」
1通の手紙であろうと無下にせず、真摯に顧客に向き合ってきた同社の姿勢が反映された新商品だった。なおかつ、開発に50年以上かけてきた結果、奇しくも現代のSDGsの流れにフィット。12月24日の発売から、販売店では朝から行列ができ、連日売切れが続出した。
明治から常に時代を切り開いてきた桔梗屋の飽くなき挑戦心、コロナ禍も打破なるか
「これからも山梨の銘菓として、大勢のお客様に愛されるお菓子であるよう努力を続けていきます。また、桔梗信玄餅だけに限らず新しい視点、切り口でお客様が“あっ”と驚くような新商品やイベントを展開していきたいです」