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情報番組にコメンテーターはいらない? マンネリ気味の“ワイドショー”化と問われるMCの力
NHKに始まった報道のワイドショー化 差別化競争から各局横並び状態に
「その元祖と思われるのが1974年、NHKで放送開始した『ニュースセンター9時』です」と話すのはメディア研究家の衣輪晋一氏。「ラジオと違い、テレビでは映像を送れる。そうしたテレビが持つ特色を生かそうとして、より一般視聴者層にニュースをより興味深く、テレビらしいわかりやすさでお届けしたい想いでスタートしたと聞いています」(同氏)。
いわゆる報道番組の改革だった。それまでになかった文化・芸能ニュースを盛り込むほか、長嶋茂雄を引退試合の直後に招くなど、“テレビ”らしい作りを模索。これに各局も追従していき、『アフタヌーンショー』などで“ワイドショー”のノウハウを豊富に持ったテレビ朝日が『ニュースステーション』(1985年〜)で上塗り。メインキャスターの久米宏の手腕により、報道番組に“トーク”を持ち込むというさらなる変革をもたらした。
90年代に入ると、社会・経済以外の、芸能や生活ネタを扱うソフトニュースの割合が徐々に増え、報道番組とワイドショーのボーダレス化が加速。今日においては、『NEWS ZERO』(日本テレビ系)のようにテレビ局の報道班とバラエティ班が共同チームで制作している番組が多数あるほか、『ワイドナショー』(フジテレビ系)や『サンデー・ジャポン』(TBS系)のように、社会的なニュースも取り上げながらもバラエティとして完全に成立させていたり、『ラヴィット!』(TBS系)に至っては、「ニュースを一切扱わず、ワイドショーのような番組にもしない」という姿勢を打ち出したりと、情報番組のジャンルはさらに複雑化している。
「やがて“ワイドショー”は倫理的に逸脱しかけたスキャンダル、報道被害など悪いイメージがついたため“情報番組”と呼ばれるように。テロップや効果音・BGMの多用、タレントのゲスト演出は定番化し、芸能関連だけでなく社会・経済ニュースについても、芸能人にコメントが求められるようになっていきました」(同氏)
いつしか“ニュース討論番組”になっていた『バイキング』 コロナ禍で募った不信感
2016年に入ると、放送時間を50分拡大。“生ホンネトークバラエティ”として、とうとう討論を軸とした番組となる。しかし、専門家が出演する機会は少なく、その発言者はほとんど芸人やタレント。「コメンテーターの質が悪すぎる」「芸人が偉そうに語るな」などの声が多数寄せられていた。
すると程なくして、古市憲寿、箕輪厚介、カズレーザー、最近ではひろゆきなど、“忖度”しないコメンテーターに注目が集まるようになった。いわゆる古くからのテレビタレントは、知識や興味のないニュースにも何かしら意見しなければいけないため、どうしても当たり障りのないコメントやMCや制作側の意図に沿う姿勢が目立っていた。視聴者がその予定調和に飽き飽きしていた反動だろう。
そこに来て、コロナ禍だ。より正しい情報や意見が求められるようになった。「コロナ禍前は、人々はテレビの討論を“プロレス”的に観る余裕がまだあった。しかし、自らが当事者となる問題に関しては真剣にならざるを得ない。しかも相手は未知のウイルス。天気予報のようにノウハウも前例もないので、誰も正しい予想はできない。コメンテーターは曖昧な回答にならざるを得なくなった」(衣輪氏)
感染症専門家としてテレビ出演が急増した岡田春恵氏も、昨年のインタビューで報道の怖さや誹謗中傷の苦悩を明かしていた。何が正解か分からず、未来も見えず、人々が不安に苛まれたコロナ禍は、専門家ですら何を言っても批判の対象となっていたのだから、情報番組におけるタレントコメンテーターへの不信感が尚更募ったのは無理もない。
1億総コメンテーター時代、TBSは視聴者に感想委ねる“原点回帰”で風穴なるか
後番組として今年10月に放送開始した『THE TIME,』でも、コメンテーターのレギュラー出演はない。『バイキング(MORE)』同様、2時間半以上ある番組で、コメンテーターなしに、視聴者を退屈させることなくニュースを伝えるのは制作陣としてもかなりつらい。また、若者層を取り込みたいテレビ局としては、NHKニュースのように情報を伝えるだけの堅い印象でも、狙った視聴者は獲得できない。
そこで光るのが、総合司会の安住アナと俳優・香川照之のトーク力だ。加えて、TBSきっての人気アナ・江藤愛と宇賀神メグが脇を固め、コーナーごとに他8名の局アナが出演。総勢11名もの局アナを動員している。安住アナの冒頭の挨拶、各ニュースの受けコメント、出演者陣とのやり取りの秀逸さには、改めて毎日驚かされる。情報を伝えるための情報番組に置いて、やはりニュースを伝える者のアナウンス力や知見が十分であれば、コメンテーターは不要なのではないかと思わされてしまう。もちろん安住アナほどのアナウンス力、対応力を持ち合わせたアナウンサーが各局にいるかと言えば怪しく、『THE TIME,』が新たな情報番組の指標になるかはわからない。
しかし、コロナ禍を経た今、情報の伝え手・受け手の意識は確実に変化した。思えば、かつての久米宏や筑紫哲也のニュース番組ではコメンテーターは存在しなかった。ボーダレス化した報道番組と情報番組において、より若者を中心とした視聴者の共感や支持を広げるようと、各局がワイドショー化・バラエティ化し、“タレントコメンテーター”も定番となった。
「そもそもタレントコメンテーターは、“視聴者代表”の立ち位置だった。SNSで誰もが意見を言え、それが可視化された今でも“代弁者”は必要なのか。それに、番組や司会者の意思を汲み取った彼らの発言を“我々の代弁者”と素直に思う視聴者も番組が思うほど多くないはず」と衣輪氏。それぞれが報道や情報をどう捉え、どう思うか、視聴者1人1人がコメンテーターとなれることが求められる時代なのかもしれない。
(文/西島亨)