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はなわ、『佐賀県』自虐ネタへの“懺悔”「売れるために嘘も歌っていた」
ストレスで円形脱毛症に… 必死で生み出した“田舎キャラ”を拾ってくれたのは福山雅治
「お笑いの世界は想像以上に厳しいところでしたが、根拠のない自信だけは不思議とあって。例えば左利きであることや、はなわという珍しい名前とか、とにかく自分は特別な人間だと本気で思っていたんですよね。当時は佐賀で芸人を目指す人なんていなかったですし、東京なんて佐賀県人からしたらニューヨークに行くぐらいの感覚ですよ(笑)。そういう、人がやらないことをしているからこそ、“自分には何かあるはず”と思えていたんでしょうね」
「家族を養わなければいけないので、このままじゃいけない、なんとかしなきゃみたいな焦りを感じていましたね。どうやったら売れるんだろうと日々模索していましたし、円形脱毛症にもなったりして(笑)。まだその頃はお笑い氷河期で、お笑いライブで1位をとっても、ネタを披露できるような番組がなかったんです。あの頃は本当にキツかったですよ」
お笑い芸人は「背が小さい」「太っている」などコンプレックスが武器となり、キャラを印象づける役割を果たすことも多い。そういった外見の個性がないことに悩んでいた彼は、出身地である佐賀について周りからいじられたことをきっかけに、“田舎キャラ”“田舎ネタ”を思いつく。
ちょうどその頃から放送開始したNHKの『爆笑オンエアバトル』という番組に出たことがきっかけで話題になって、『エンタの神様』に出るようにもなって、あれよあれよと忙しくなっていったんです。さらに福山雅治さんがラジオで「佐賀県」を推してくれるなんていう強力なバックアップもあって、本当に運に恵まれていましたね」
「批判があった方が尖ってて良いと思っていた」その裏で、両親が佐賀県知事に土下座
「急に売れてどんどん消費されて一発屋になってしまう人もいますが、僕はそこは特に意識してなかったですね。むしろ売れるなら、一発屋でもなんでもいいんじゃないかとも思っていました。だって一発屋でも十分すごいし、なかなかなれるものではないですよね」
「とにかく売れるために、批判されることは全く意識せずにやっていましたし、必死でネタ作っていました。「佐賀県」を歌い始めた当初は、ライブではウケてたけど、まさかCDになって売れると思ってなかったというのもあります。あとで知ったのですが、うちの両親が県知事に土下座したこともあったそうで…。よく考えたら“田舎あるある”を“佐賀あるある”にして嘘も交えて歌っていたので、『佐賀はこんなんじゃねーよ!』と言っていた人の気持ちが今ならわかるんです。だけど、当時の僕はあまり気にしてなかったというか、批判的な声があった方が尖ってて良いじゃんぐらいに思っていたんですよね」
「なんてことをしてしまったんだ…」20年の時を経て芽生えた地元愛と自戒の念
「最初は子育てのために帰ったんですけど、ここ数年で改めて佐賀の良さに気付きました。例えば、焼き物やお米、野菜など物作りに対するこだわりがすごくて、世界的な賞もたくさんとっているのに、“当たり前のことをやっているだけ”という意識を当たり前に持っている人が多いんです。そういう美学を持って生きているところが佐賀県民の粋なところですよね。あと自然も多いし食べ物も美味しいし、知れば知るほど良いところだなと思います。だからこそ、自虐的なことを歌っていた当時の自分に対して『なんてことをしてしまったんだ…』と申し訳ない気持ちにもなって…。いまの僕があるのは佐賀のおかげですし、今後どういう形で佐賀に恩返しをしていこうかということを常に考えています」
「“人を元気にすること”ならなんでもやりたいですし、逆にそうじゃなければやらないと決めています。『はなわは何屋なんだ?』と言われたいですし、これからも肩書きにこだわらず色んなことにチャレンジしようと決めています。芸人としては、昔から賞レースには興味がないですし、マイペースに人と違うことをやり続けるだけというか。もちろん、弟をはじめ、そういったところで勝負している方は凄いなと思いますし、チャンピオンを目指してお笑いをやっている人達のことを大尊敬しています。ただ、僕はみんなが目指すようなエベレストよりも、誰も知らないそこらへんの山の頂上に立ち続けていたいんですよね。その気持ちは今後も変わらないと思います」