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アニメ声優への起用にはNGの声も 拒否反応を生まない“俳優×ナレーション”の魅力とは?

 ジブリ諸作品や大作アニメの劇場版ゲスト声優など、もはやおなじみとなった「アニメ映画の声優に人気俳優を起用する是非」論争。一般層や人気俳優のファンを取り込みたい思惑がありそうな制作・配給側と、原作の“聖域”を守りたいアニメファンとの対立構造は着点を見いだせないでいる。一方で、情報番組などへ俳優が「ナレーション」として進出することに関しては、視聴者もそれほど抵抗感を持たず、年々評価も高まっている。“俳優→アニメ声優”の抵抗感に対し、「俳優×ナレーション業」が受け入れられる理由とは? 

ベテラン俳優が作ったナレーションの礎 市井の人々の壮大なドラマを語る

 かつては情報番組やドキュメンタリーなどのナレーションといえば、文字通り「ナレーター」が務めるものであり、元アナウンサーや声優が起用されることが常識だった。古くは『水戸黄門』(TBS系)や『必殺』シリーズ(テレビ朝日系)などの時代劇、『Gメン’75』(TBS系)など刑事もののナレーションで“名調子”を謳われた故・芥川隆行さんが一時代を築いた。

 最近では、ドキュメンタリー番組などのナレーターを声優“以外”、実力派俳優が担当することが増えている。その筆頭ともいえるのが、2000年より5年間『プロジェクトX』(NHK総合)のナレーションを務めた田口トモロヲだ。故・蟹江敬三さんがナレーションを務めた『ガイアの夜明け』(テレビ東京系)も、ドキュメンタリーの代表としてはを思い浮かべる人も多いが、同番組は2年先にスタートしており、「俳優×ナレーションの礎」を作ったといえるだろう。

 田口の起用以来、その傾向は強まり、同番組でのハマりっぷりからバラエティ番組などで“プロジェクトX風”のパロディが生まれている。このことからも、視聴者に「俳優がするナレーション」に対し、リスペクトを持ってしっかりと受け入れられたといえる。

 先の『ガイアの夜明け』(テレビ東京系)では、「魂のこもったナレーター」として蟹江さんが番組開始時から12年間ナレーションを担当。闘病中は高橋克実や寺脇康文、古谷一行、長塚京三などが代役を担い、2代目は杉本哲太(2014年〜2019年)、3代目は眞島秀和(2020年〜)と、蟹江さんと同じ“舞台俳優”系が引き継いでいる。

 田口・蟹江さんの活躍以降は、俳優がナレーションを務めるケースが急激に増えていった。両番組ともに教科書に載るような偉人・著名人ではなく、いわば“無名の偉人”にスポットを当てることで共通しており、いかにストーリー性を際立たせるか、実力派俳優たちの本領発揮の場として機能していたのかもしれない。

“主張しすぎない声” NHKを中心に引き継がれる俳優ナレーション

 そんな流れを“主流”に押し上げたのは、やはりNHKのドキュメンタリー番組だろう。大御所である文学座の江守徹や、『NHK特集 シルクロード』のナレーターでも知られる劇団四季出身の石坂浩二(ちなみに石坂は『ウルトラQ』(TBS系)のナレーターでもある)など、これまでにも多くの俳優がナレーションを務めてきた。

 ベテランたちの活躍を受け、“俳優の声”の仕事は今の若手にも引き継がれている。NHKが総力を挙げて取り組む金看板『新・映像の世紀』(再構築した『映像の世紀プレミアム』も最近放送)の山田孝之にしても、本人の声とは気づかないほど映像に溶け込んでおり、その自然なナレーションは評価も高く、同シリーズの新境地を切り開いたとまで言われている。

 『プロフェッショナル 仕事の流儀』の貫地谷しほりも高評価を受け、NHK以外でも『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)や『新 美の巨人たち』(テレビ東京系)などでも、ナレーターとして活躍している。若手女優でいえば、上白石萌音も『明日へ つなげよう 未来塾』(NHK総合)、『風景の足跡』(テレビ東京系)などのナレーションを担当し、ベテランから中堅、さらには若手まで「俳優のナレーション業」の裾野は広がっている。

“番組の顔”にまでなる声の存在 没入感を与える高いスキル

 人気アニメや洋画の吹き替えなど、俳優の声優挑戦には概ね拒否反応が起こる。そんな中でも、俳優のナレーションが好意的に受け止められるのはなぜなのだろうか。

 アニメファンは、原作のキャラクターに思い入れがあり感情移入もしているので、それぞれに独自のキャラクター像を抱いている。そこに、すでにイメージが確立された人気俳優たちが入り込んでくることは、自分の好きなアニメの世界観に土足で踏み込んでくるようなものであり、ある種“汚された”ような感情を抱くからかもしれない。今風にいえば「コレジャナイ感」=拒否反応を示すのではないだろうか。

 一方で、ドキュメンタリーの場合は役になりきる演技とは違い、番組の内容の事実性を客観的に淡々と伝えること、いわば視聴者が番組に“没入”できることが求められる。加えて、どれだけ主人公や登場人物たちに寄り添った人間味や温かさが醸し出されているか、そこに俳優たちのナレーション力の真骨頂がある。たとえば、東山紀之が15年以上にわたってナレーションを務めている『バース・デイ』(TBS系)などは、東山の顔は誰もが知っているにもかかわらず、この“番組の顔”は東山の“声”なのである。

 「淡々と事実を伝える」「にじみ出る温かみ」となると、『世界の車窓から』(テレビ朝日系)の石丸謙二郎や森本レオの一連のナレーションも思い起こされるが、そういった意味では俳優のナレーション手法は、さまざまな方面で過去から受け継がれているともいえる。

 つまり、アニメにしろ洋画吹き替えにしろ、すでに強烈なイメージを確立している人気俳優を起用すること、しかも鳴り物入りで喧伝することは作品の世界観を台無しにしてしまう可能性があり、いわば禁じ手なのかもしれない。しかし、本業の声優の仕事は“声”のみで勝負するプロだけあり、『鬼滅の刃』の我妻善逸役・下野鉱の振り切った“演技”も“さま”になる。今では声優たちが吹き替え以外の仕事をする機会も増えており、彼らの“顔”も売れ出しているが、作品の中では声優の顔は浮かばず、キャラクターのイメージが前面に立っているのは、やはり彼らが“プロ”だからなのである。

 長年、『サザエさん』(フジテレビ系)の磯野波平役を演じてきた故・永井一郎さんのように、ベテラン声優の中には、「我々はあくまでも俳優であり、声のみで深みを出せる…それこそが俳優である」と語り、安易に“声優”と括られことに違和感を抱く人も多い。一方で、「山ちゃん」としてお茶の間にも親しまれている山寺宏一も、過去のブログではタレントを声優に起用する現状を嘆いていたこともある。

 昨今のアニメ人気・声優人気を受け、声優の地位が向上していることは間違いないし、俳優のナレーションが定着していることもまた事実である。今後は俳優・声優のカテゴリーにとらわれない、プロフェッショナルな“声の演技”の切磋琢磨によりいっそうの拍車がかかりそうだ。

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