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ORICON NEWS
えっちなイヤホン? 音フェチ陶酔「ASMR」特化でヒット、専業メーカーの気概とは
Twitterで話題、2週間で異例の12,000台以上の売り上げ
細尾氏 E500は弊社ダイレクトショップのみでの販売となっておりますが、約2週間で12,000台以上のご注文をいただきました。もしもこれがマーケティング施策であれば、恐らくフォロワーに透けて見え、ここまで販売数量は伸びなかったと考えられます。ですが、小岩井ことりさんは、音響機器への深い知識と生かし方を常に考えておられ、そうした本気感がフォロワーに伝わったことで大きな拡散につながったと考えています。SNSの良さが生きた素晴らしい事例だったと思います。
――今までの購入層と異なる部分はありましたか?
細尾氏 大きな違いは女性の購入者の多さです。通常弊社ダイレクトショップでのイヤホンの購入者の女性の比率は全体の10%程度ですが、今回は30%近くとなっています。また多くの方がSNS(主にTwitter)でE500について知るまではfinalブランドをご存じなかったようでした。ASMR動画の分野に女性が多く、明確なメリットがあれば誰でもイヤホンを積極的に購入いただけるということがわかりました。
――そもそもバイノーラル音源に特化したのは、どのような理由だったのでしょうか?
細尾氏 元々はスマートフォンとの同梱を前提としておりましたので、YouTube等の動画サイトでASMR動画やVR動画を視聴する事を前提としていました。ただ、バイノーラル録音された音源は、聴き続けると疲労感がたまる報告も。それは、個人の耳の違いによるものだと考えられて来ましたが、私どもの研究で「それ以外にも重要な要素がある」という事がわかってきました。そうした研究結果に興味を持った大手企業から同社の製品の同梱品としてE500は企画されたため、バイノーラル音源、特に人の声の帯域に特化した製品となったという経緯です。
――では、E500は企画から開発、販売までどれくらいの期間があったのでしょうか。
細尾氏 製品としての開発期間は特に長くありませんが、バイノーラル音源に対して、個人の耳の形状に合わせて補正したデータを作成すれば理想的な聴取体験ができるのではないか? という初期の実験から数えますと5年以上を基礎研究に費やしています。
――5年! 苦労も多かったのではないでしょうか…。
細尾氏 基礎的なデータを採るための実験が最も苦労しました。測定の為の道具やソフトウエア等も開発する必要がありました。ユーザーの反応は概ねその際に立てた仮説に近いようで、携わったエンジニア達は安堵しております。
小規模な専業メーカーだからこそ「長期的視点かつ会社全体で利益を上げられる」
細尾氏 『final』のブランドコンセプトは「原理的に正しい事を追求する」。製品開発の理念は「世界最高の体験を実現する製品を作る。それを手の届く価格の製品でも実現させる」です。1974年に創業し、創業者の高井金盛が当時音質面でのアドバイザーをしていたSONYに別注したカートリッジを販売した頃から『final』ブランドが始まりました。主軸製品のターンテーブルやスピーカーなど各製品は極めて高額でしたが、満足度は高く、多くのお客様は納品した製品を修理しながら長く使い続けておられます。
――そして、10年ほど前から『final audio design』として自社のイヤホンの製造もスタート。理想の音とはどのように定まるのでしょうか。
細尾氏 私達は一般的に「人それぞれに違うと言われる好み」の大部分は科学で解明可能だと考えています。オーディオの世界では、音質は測定データに表せないという事を言い訳として、音質評価をある優れた個人に担わせています。しかし、それでは味付けの変化に留まり、想像を超える製品を生み出すことはできません。想像を超える体験は、素材や製造機器の開発といった根本的な部分からの開発を必要とします。しかし、そうした終わりの見えない開発は投資対効果の算定が難しく、多くの企業では行われなくなっています。
――これらは大手ではない専業メーカーだからこそできることでしょうか。
細尾氏 大手メーカーはほとんどの場合、製品別に投資金額に対して1年間で幾ら利益をだしたかという指標であるROI(Return on Investment)で定められた利益率を達成する事に強く縛られています。その為、自社で開発するよりは、少数のマーケッターが企画することでスタッフ数を減らし、後は海外企業に開発から製造までを全て委託した方が利益率向上の面で合理的な選択となります。私達は会社規模が小さく、また専業メーカーであるため、製品ごとのROIではなく、長期的視点かつ会社全体で利益を上げる方法を選択する事が可能です。開発に長期間かける代わりに市場に長く評価され、長期間売上を維持する製品を世に出しやすくなっていると考えております。
――では、今回の「バイノーラル特化」のように時代の変化に合わせることと技術追求の両立についてはどのように意識されていますか?
細尾氏 私達は知らず知らずの内に時代精神の中にいると考えています。バイノーラル技術は時代精神の流れの中に既に存在している未来です。だから私達は安心して技術を磨くことに専念しているだけでいいと考えています。少し先にこの点が組み合わさって何かを生み出すだろうと考えています。こうした考え方が大手企業で難しくなってきているのが残念です。ジョブズがスタンフォード大学におけるスピーチで述べたように、点と点のつながりは後でないとわからないものだと思います。
高価な製品の研究開発で得た知見は「惜しまず手の届きやすい価格帯に応用」
細尾氏 中学生頃になると、洋楽やクラシック、メタルといった新たなジャンルの音楽に触れる機会も出てきます。好みがある程度固まっていく10代の時代こそ、自分が知らなかった新たな音楽に出会い、感動する可能性をできるだけ広げて欲しいと願っています。私達はアーティストが伝えたい内容をできるだけそのまま伝えるイヤホンやヘッドホンを提供する事で、その可能性を広げる役に立つことを願っています。
――だからこそどの価格帯の製品も「コスパがいい」「お値段以上」といったコメントがある印象です。販売価格と、こだわり・品質はどのようなバランスで考えていらっしゃいますか?
細尾氏 高価な製品の研究開発で得た知見は惜しまず手の届きやすい価格帯に応用する事にしています。フラッグシップモデルを頂点として、支払い金額に応じてクオリティを落とすという古いマーケティング手法ではなく、どの価格帯を選んで頂いても一定以上満足度が高くなるような官能評価方法を独自に開発いたしました。そうした努力の積み重ねが結果的に「コスパがいい」といった評価に繋がっているとしたら、嬉しい限りです。
――そして公式サイトで「アンティークとして価値を持ち続けるイヤホン、ヘッドホンを作って行きたい」と掲げていらっしゃいます。今後どのような発展や価値を見出していきたいですか?
細尾氏 イヤホン、ヘッドホンは個人の生活を豊かにする道具です。それが所有する人の美学を表現したものであって欲しいと考えています。例えば、江戸時代には武士達が刀の鍔(つば)を自分の美学で職人に製作させ、鑑賞会などをおこなっていたと聞きます。今の視点で見てもカワイイものが多く、刀を腰に下げたおじさま達がなぜ文様に蝶を選んだのかを話しているのを想像するだけで微笑ましくなります。町人も根附(ねつけ)に凝るなどしていました。
――昔も今も変わらないですね。
細尾氏 そうですね。そうした誰かが自分の満足のために悩んで作った宝物には、別の誰かも感じる強い魅力があるのだと思います。私達はようやく工業製品として魅力を持ち、修理しながら使い続けられるような製品作りが出来つつあるところです。
細尾氏 はい。目指す方向としては、当面はもちろんイヤホン、ヘッドホンが中心にはなりますが、将来はそれだけにこだわらず、誰もが驚くような聴取体験ができる製品やサービスを作りたいと考えています。そうした新たな世界は自社だけで実現することはできません。現在、優れた開発パートナーとの共同開発を進めようとしているところです。
――具体的に考えていることはありますか?
細尾氏 来年には、伝統工芸の手法を現代の精密加工技術と組合せ、イヤホンやヘッドホンを自分の宝物として注文頂けるような仕組みを構築するつもりです。他にも、1人暮らしの方が家に帰るのが楽しみとなるような広い意味でのオーディオを作りたいと考えています。例えば「高音質イヤホン、ヘッドホンを定額制で使える仕組み」や「ワンルームマンションでもある程度の音量で音楽や映画を高いクオリティで楽しむ事ができる仕組み」。また、「自分の好きな音楽を最高の心地良い音に勝手に調整してくれるワイヤレスイヤホン、ヘッドホン」など。アイデアは既に出来ているので、実行するだけなのですが…(笑)。
『final』Information
また、ショールームでの視聴会や、音響講座などのイベントも不定期で開催。
「メディアやテクノロジーが変わっても、音楽好きはその時代に応じた楽しみ方を見つけて行くのだと考えており、アナログからCD、それをリッピングしたデータ、音楽配信を使い分けられる現代は素晴らしい時代だと思います。だからこそ、音が良ければもっと楽しいよと発信している次第です」(細尾氏)