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だいすけお兄さん、プライベートは「おじいちゃん」? 番組では妖精を意識
たくみお姉さんが卒業したとき考えた、僕が番組に残せるものは?
横山だいすけ まずは9年間、無事に走り終えることができて、ほっとしているというのが正直な気持ちです。うたのお兄さんとして歌を元気に届けるという使命をいただき、9年間歌い続けることができて、本当に幸せな時間を過ごすことができました。
――卒業のときは感慨深いものがあったんじゃないですか?
横山だいすけ 4月1日に放送した島根県益田市でのコンサートが最後の回だったんですけど、それまで自分の言葉をありのまましゃべることって、ほとんどなかったんですよ。だから最後に何を言えばいいのか、自分でもなかなかはっきりしていなくて。公演に向かう前日、(三谷)たくみお姉さん(2016年4月2日卒業)の最後のコンサート映像を観て、参考にしました。ここまで続けることができたのは、いろんな方々に支えてもらったお陰なので、それを思い返したりしましたね。そういったことが自分の言葉として出せたらいいなと思っていたら、本番当日は自然にお別れを言うことができました。
――卒業するというのは、いつ頃から意識してましたか?
横山だいすけ 僕がうたのお兄さんになって2年目に50周年記念コンサートがあったんですよ。そのときに歴代のうたのお兄さんの先輩たちと会う機会があって。50年を経て、また次の50年へ向けて歩みを進めていく中で、自分がその1ページを務めさせてもらうんだと思ったとき、いつかは終わりもくるものなんだとは漠然と考えました。そして去年、たくみお姉さんが卒業したとき、僕が番組に残せるものはなんだろうと考えて…。その都度、番組のプロデューサーや制作のスタッフたちと、いろんな話をしました。
プライベートが窮屈になったと思ったことは一度もない
横山だいすけ 僕はどちらかというと、すぐに口に出してしまうタイプなので、それほど大変だと思ったことはないですね。今の番組の流れに合っているかどうかは別として、やってみたいことは常日頃からスタッフにも伝えてきていました。我慢するようなことも、あまりなかったかなぁ。ただ、月曜から土曜までNHKにいて、やることがいっぱいあったので、その流れを崩さないようにすることは気をつけていました。たとえば健康管理とか…。
――具体的にはどんなことでしょう?
横山だいすけ 僕らは歌を歌うことがメインなので、収録が終わって次の現場に入るまで、いかに良い状態に持っていけるかをとても大事にしていました。体調を崩しそうなときは、ヨーグルトや納豆を食べたり。それに、冬だと番組に来てくれる子どもたちが風邪を引いていることもあったりして。収録中、子どもたちに「お兄さんが『元気?』って聞いたら、『はーい!』って返事してね」って呼びかけるんですけど、「私、風邪ひいてる」っていう子がいたり。そういうときは、「無理しなくていいからね」って声をかけています。
――イメージもありますし、横山さんご自身はそれを窮屈に感じたことは?
横山だいすけ そういったことはあまり感じたことはないですね。ありのままの僕をみなさんが受け入れてくださった気がします。もちろん、先代のお兄さんから代替わりしたとき、最初は僕に慣れてもらうことに悩んだことはありました。でも、うたのお兄さんであることで、プライベートが窮屈になったと思ったことは一度もないかなぁ。
妖精みたいに中性的な雰囲気でいるようにはしていました
横山だいすけ あまり“男の人”らしさを出さないことですね。3歳とか4歳の子って、やっぱりお母さんといる時間が長いので、女性のほうが親しみやすいみたい。最初の頃、大人の男性っぽさを出すと、子どもたちが引いてしまう瞬間もあったんです。だから、妖精みたいに中性的な雰囲気でいるようにはしていました。
――「かっぱなにさま? かっぱさま!」や「イカイカ イルカ」などたくさんの曲で仮装や変顔をしたり、ちょっとシュールな一面も見えました。子どもだけでなく、お母さん方の間でも話題になりましたよね。
横山だいすけ 台本に「変顔」と書かれていて、最初は「えっ?」って思ったんですよ(笑)。でも、子どもたちの反応をよく見ていたら、変顔にもすごく喜んでくれていて。そういうふうに、面白い顔やコスプレをするのもアリだなって思ったんです。勇気を出してスタジオのような慣れない場所に来てくれた子どもたちに、ひとつでも多くの思い出や楽しさを味わってもらいたいというのもありました。