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【岡田准一インタビュー】「自分に飽きたくない」から――大作へ挑む覚悟と喜び
演じるのは20代から90代、監督と共に戦う覚悟で
岡田准一お話があった時は、「えっ、僕ですか?」と本当にびっくりしました。これまでいろんな作品を観てきましたが、老けた特殊メイクでうまくいっている作品は、世界的に見ても数が少ないという認識があったんですよね。まだ30代の僕が世代が上の役を演じるというのは、その数少ない成功にチャレンンジしなければいけないので、とにかく不安でしたね。
――出演を決めたときの気持ちは?
岡田准一山崎監督のオファーですからね。これはやるしかないと覚悟を決め、それでもすごく悩みましたよ。でも、最後は監督の「共に戦ってほしい」という言葉を信じて、監督についていこうと思いました。
――戦前から石油販売を開始し、戦後の日本経済に多大な影響を与えた伝説の男=国岡鐡造を演じる上で、“核”となったものは?
岡田准一かなり上の年齢を演じるというプレッシャーに苛まれて、特殊メイクの優れている作品や年上の役を演じている作品などを何本も観ました。でも、そういうことをしながら、勝手に自分で自分の中の“国岡鐡造像”を大きくしてしまっていたんですね。でも途中で、これは群像劇であり、国岡鐡造だけでは国岡鐡造は成り立たない。やはり周りの人々や社員がいてこそ、この物語は生まれたのだと気がついて。結局、国岡鐡造は自分だけが動いて切り開いてきた人ではない、彼の思いや言ったことを実現するために周囲が動いていろいろなことを実現してきた。それに気がついてからは、周囲の人とどういう関係性を作れるかを考えながらやるようになりました。監督からは、「年をとったからといって、いわゆる偉人のように落ち着かないでくれ」、「なぜ“海賊”と呼ばれたのかという“豪快な愛されキャラ”というのは保ってくれ」と言われていましたから、そこはずっと強く意識していました。
きっかけは“せんべい”、60代の芝居をつかむため葛藤
岡田准一撮影が始まる前に何度も本読みをやったんですけど。山崎監督から「なんか違う」と言われっぱなしで(笑)、なかなか役がつかめなくて。でも、休憩の時にせんべいを食べながらセリフを言っていたら「それだ!」と監督に言われて。監督のイメージにあう鐡造のキャラクター像を探ることに時間がかかりました。
――60代の特殊メイクはいかがでしたか?
岡田准一これも自然に周囲に馴染んだらいいなと思って、60代の扮装をした時はなるべくそのまま現場に居ました。やはり、突然、扮装した僕が出て行ってカメラの前に立つと、みんなの気持ちの中にも違和感が生まれる。その違和感は、画面に映ってしまいますから。60代としていればみんなも見慣れるし、「そういうもんだ」と思って接してくれる。そこが大事だと思って。手探りで自信がなかったんですけど、タンカーの船長を演じた堤(真一)さんが、一緒のシーンを撮影した後に、「60代の人とやっている気がした」とさらっと言ってくださって、救われましたね。そういう皆さんのさりげない励ましや後押しで、ちょっとずつ出来ていったような気がします。