2017年映画シーンから学ぶヒット創出のヒント “想定外”の成功と失敗をひも解く
製作側の戦略が見えない漫画原作の実写映画化
なかでも、17年においてもっとも大ヒットへの期待度が高かった3作品が、公開順に『無限の住人』『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』『鋼の錬金術師』である。前2作品は10億円に届かず、後者はかろうじて10億円台に乗せた。ここにはいったい、何があったのか。はっきり言えば、それは映画の本質にかかわることだと思う。つまるところ、漫画原作を実写化する際の製作側の戦略が、よく見えていなかったことである。映画として、どう料理するか。そのために、映画の世界観をどのように構築するか。そこが、よく見えなかった。
ただ、『無限の住人』だけは違うと三池崇史監督の名誉にかけて言っておこう。個人的には大いに楽しんだし、見事に“映画”になっていた。だが、そのおもしろさは私自身の三池監督への強い思い(ビデオシネマ時代を含めて)から発しているので、一般的な文脈にあてはめることはできない。映画を純粋に楽しみたいという多くの人たちが普通にもっている気持ちが、過度な暴力描写などから生まれた異世界によって、逆撫でされてしまった感を強くもつ。個性的なキャスト陣への期待感は、強烈な“三池印”の毒針によって、封殺されたのではないか。悪く言えば、プロデューサー不在。良く言えば、よくぞ三池監督に思うように撮らせてくれた。ただ、後者の実践、感慨が通用するほど、今の時代は甘くないということだ。
『ジョジョの奇妙な冒険〜』に関しては、『無限の住人』のときには顕著だった強烈な“三池印”さえもがはぎとられていたから、状況はさらに悪化した。確かに、原作の見せ場を描く技術力は相応にあったとは思う。ただ、その描写の数々が機能的、無機質化、段取りふうに見えてしまい、漫画から映画へ飛躍する際の内在的な映画のエネルギーが弱くなり、つまるところ映画ならではの豊饒な空間性をもつ異世界、独自な世界観の構築からはほど遠くなってしまった。さらに、それぞれ個性派の俳優たちが演じる登場人物たちに、映画ならではの破天荒な魅力があまり感じられなかったのも残念であった。
日本だけで厳しいのなら海外との合作という手法も
これらの3作品は、邦画の未来を大きく開示していく可能性が多分にあったと今でも思っているので、まったく惜しい。この3作品の興収がもし、それぞれが30億円以上、いや20億円以上であったなら、漫画原作からだけではなくて、違った分野からも大型実写娯楽作品への製作の道が大きく開けたかもしれない。ただ、これで諦めてしまっては、まさに元も子もない。日本の映画人で製作するのが難しい情勢であるのなら、海外の映画人と連携する合作という手もある。そこには想像もつかない困難が待っているだろうが、ここを起点に動いていくことが肝要ではないのか。漫画原作から生まれた昨年の大型実写娯楽作品の教訓とは、ここにこそあると考えている。
大ヒットが洋画大作に多く、期待の邦画大作が何本か10億円台となった昨年だが、そのなかで前出のような洋画小規模作品が普段洋画を観ない若い世代を動かし、映画シーンの裾野を広げるとともに、おもしろくて興奮もできる、みんなで楽しめる、感動できるという現代のスマッシュヒットの事例を示した。それぞれ要因は異なるものの、想定外のヒットに通じるのは“わかりやすさを底にもつ興行”と言えるかもしれない。
なかなかヒットの出ない邦画の単館系でも、昨年末公開の『勝手にふるえてろ』は28館でスタート後、37館まで増え、興収1億円を突破。突き抜けたヒットにはなっていないが、前述の作品に勝るとも劣らぬユニークな興行となったことを記しておきたい。邦画の大ヒットこそ減少したが、小から中規模ヒットは増えており、それが積み重なって歴代2番目の年間実績となっているのだ。映画シーンの構造が変わりつつあるいま、今回取り上げた想定外の事例とは、この先のヒット創出の1つのヒントとなるのではないだろうか。