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カミングアウトすべきか否か? 井手上漠、10代で全校生徒の前で打ち明けた当事者の想い
撮影/草刈雅之 (C)oricon ME inc. 衣装協力/JICHOI(MATT.Tokyo)
「周囲に打ち明けることだけが正解ではない」
そんな井手上に転機が訪れたのは、中学2年生のとき。母親から本音を聞かれ、初めて性別にまつわる悩みや思いを吐露。「漠は漠のままでいいんだよ」と大好きな母親が絶対的な味方となってくれたことをきっかけに、「男でも女でもない井手上漠」として生きることを決意した。
その後、中学3年生のときには、国語の宿題で、自らのジェンダーレスな生き方を文章にしたところ、先生からの勧めで校内の弁論大会に出場。『カラフル』とタイトルが付けられたこの弁論は、その後、県大会、中国・四国ブロック大会と勝ち進み、「青年の主張全国大会」で文部科学大臣賞を受賞した。
しかし、いまの井手上は、カミングアウトに悩む人たちに対し、「周囲に打ち明けることだけが正解ではないと思う」と話す。
井手上漠 「カミングアウトすればラクになる」と言う意見もありますが、ある人にとってはそうかもしれませんが、必ずしもすべての人に当てはまるとは思いません。カミングアウトしたことで状況が好転する人もいれば、しない人もいるかもしれない…。言った後の環境がどうなるかは誰にもわかりませんよね。そんな保障ができないことに対して、安易に「打ち明けることが正解だよ」と私は思えないですし、言えません。
カミングアウトに迷うなら「自分で打ち明けられる環境を整える」
井手上漠 ありのままって裸と一緒だから恥ずかしい面もあると思うんです。服を着て人前に出ることは、他者に対する配慮ですが、それと一緒で、カミングアウトはありのままの一部なので、言うタイミングや言う人を選ばなければなりません。私の場合はたまたま親が認めてくれたからよかったけれど、そうではない家庭環境もあると思います。周囲にナイショにして穏やかにうまくやっていくことが心地よいならば、それも正解だと思います。でも、カミングアウトしたいと思うなら、まず、自分と戦って、自分が変わって、カミングアウトできる環境を整えることが必要だと思います。
――漠さんはどのように環境を整えられたのでしょうか。
井手上漠 中学の弁論大会でジェンダーレスな自分について全校生徒の前で発表することができたのは、大好きな母に認めてもらえたこと、そして大好きな美容を突き詰めるようになったことがきっかけでした。自分自身の外見を磨けば磨くほど、性格が明るくなっていったし、初めて自分を理解してくれる友達もできました。その時、クラスで孤立していたかつての自分は、自分で壁を作っていただけだったことに気づきました。
井手上漠 「周りからこう見られている」とか、「こう思われている」ということは取っ払って、自分と向き合える自信になるものを見つけたときに、人はイキイキと自分らしく生きられる。そうすれば、自分のことをわかってくれる仲間にも出会えて、人生は豊かになっていくのかなって思います。
――自身が変わって環境が整えば、それが自信になって自然とカミングアウトできるタイミングが訪れる、と。
井手上漠 そうですね。カミングアウトに悩むということは、言った後の環境に不安が大きいからだと思うんです。その不安があるうちは、強引に背中を押さないことが大事だと思っています。
ジェンダー平等やマイノリティという言葉がなくなること、それが願い
井手上漠 認める気持ちがまず大事だと思います。私は母に打ち明けたとき、「漠は漠のままでいいんだよ」と言われ、大好きな母に認められたことですごく心が満たされました。認めるには、ほかにも、ただ抱きしめるとか、一緒に涙を流すとか、何種類も方法があると思います。それは2人の関係だったり、環境だったり、どこで話すかによっても変わってくるので、そのときどきで選ぶことが必要ですが、根本に、ただ認めてあげるという心があれば通じ合えるのではないかと思います。
――「今まで辛かったね。その気持ち理解できるよ」など共感や応援の声掛けは…。
井手上漠 「理解できる」といった言葉選びは少しリスクがあるかな、と思います。人によっては「本当の辛さは分からないくせに」「簡単に言わないで」などと思うこともあるのではないでしょうか。無理に理解しようとしないで、正直、わからなかったら、「自分は経験したことがないからわからない」と言ってくれたほうが嬉しい気がします。そして、私だったら、「でも、わかっていきたいからたくさん教えてほしい」って続けます。
井手上漠 ここが変わればいいのにという制度や環境など、今の日本社会に対してマイノリティの人たちが思っていることは、いろいろあると思います。ですが、私はマイノリティに向け制度や環境を整えることが必ずしも正解とは思っていません。もし、そうしたことで、より多くのマジョリティに負担をかけたり、不安を与えたりすることがあるかもしれない。マイノリティが何かを声高に要求することは、そういった側面もあるのではないかと思っています。
課題ばかりに目を向けるのではなく、まずは、一人ひとりが認め合う心を持つ社会を作ることが大事だと思います。それによって、やがてジェンダー平等とかマイノリティとかマジョリティという言葉がなくなっていくのではないでしょうか。今の子どもたちが大人になったとき、「そんなことも認められない時代があったの?」って驚かれるような、そんな世の中に変わることを願っています。
衣装協力
JICHOI(MATT.Tokyo) info@the-matt.com
(取材・文/河上いつ子)