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「しょうもない子を産んで」と言われた過去も…重度脳性麻痺の息子の夢を”諦めさせなかった”母、真の自立支援とは?
歳の離れた妹の存在で“障害”を意識「車椅子の自分だからこそできることはある」
自身の障害を意識したのは、どのタイミングか? という質問で、歳の離れた妹の存在について話してくれた亮夏さん。
「妹が歩いている姿を見て、驚いた。でも車椅子の自分だからこそ、できることはあるんじゃないかと思えたことが(前向きになんでも挑戦することへの)モチベーションとなっている」(亮夏さん)
「1人でもできることがあるって思えた。これまでいろいろなことに挑戦して、失敗もしてきたなかで、できることが増えてきた。諦めそうになったりくじけそうなときこそ、自分のことを信じてきた。俺はできるって」(亮夏さん)
最近では、長年の夢だった一人暮らしもはじめた。ヘルパーの手を借りつつも、家族から自立して暮らせるうれしさは不便さや寂しさを感じるどころか、「うれしい」ようだ。好きな映画を見て過ごす時が、至福だという。親としては、正直どう感じているのだろうか。
「心配したらキリがないので、しないようにしています。彼に対してというより、ヘルパーさんが困ってないかな、ご迷惑かけてないかなとかそっちが心配ですね。亮夏が『自分で自分の暮らしを作っていく』と決意をもって行動しているから、心配はしません」(織恵さん)
「障害があるからなんやねん」親子の基盤を作った幼稚園の運動会での出来事
「あとで周りから『障害がある意味がわかって言ってんのか? えらいことなんやで』などと言われましたが、育てにくさを感じていたので、診断を受けたときに正直ほっとしたんです。当時は今のように簡単に情報が手に入らなかったので、その枠にとらわれずに済んだというのはあると思います。
ただ、どうしたら彼が障害をネガティブに捉えずに、(障害を背負っていることも含めて)自分自身のことを好きだって思ってもらえるだろうか。親としてどう関わっていったらいいのかなとはずっと考えてきました」(織恵さん)
亮夏さんと向き合うことは織恵さんにとっても大きな分岐点だった。「自分自身を見つめ直すきっかけになった」という。
「私の目の前に見えていたのは、何もできない亮夏と、希望が見えない現実だったんです。だからって『しゃあないやん』って言ってしまうと、もうそれ以上何もないわけで。亮夏を産むまでの私は腐って生きてきたところもあったし、散々誰かのせいにして、私なんかって思ってきたところがありました。そんな私が、障害を抱えた我が子と向き合ったときに「もう何かを諦めて生きていくのはうんざりや」という気持ちに気付いたんです。彼と出会い、これからは諦めないという選択をしていきたいと思いました」(織恵さん)
とはいえ、障害を持った我が子を特別視することはしなかった。子どもではなくあくまで一人の人間として向き合うことに決めた。
「語弊なく伝わったらいいんですが、ただ生きていたらいい、それ以上望まない、生きてることが奇跡だという考え方もありますが、私はそのことによって彼の成長の機会を奪ってしまう気がしたんですよね。『しょうもない子ども産んで』って言われたこともあったけれど、私の中では『障害があるからなんやねん』って思ってました」(織恵さん)
亮夏さんが幼稚園の頃、運動会でこんなことがあった。
リレー走者としてずり這いで、マットの上を這いながら進んでいく亮夏さんを、どんどん追い抜かしていく他の子どもたち。次々と走者が進んでいく相手チーム。息子のチームの園児たちや息子に懸命にエールを送る保護者たちの姿を目の当たりにし、次第に居心地の悪さを感じた織恵さんは、つい「申し訳ない」と口にしていた。
「そのとき、隣にいたママ友がすごい怖い顔をして『あんた今なんて言った? 亮夏があんなに頑張ってるのに、亮夏に失礼だと思わないんか?』ってすごい怒られたんです。亮夏は全然諦めてないし、みんなはそれを笑顔で応援しているのに、この中で一番亮夏を信じていないのは私だけやったなと。そこからかわいそうとか、申し訳ないと思うのはやめようって決めました。このときの出来事が私と亮夏の親子関係を築く基盤になっています」(織恵さん)
「自分の子であることがすごく誇らしい」亮夏さんの自分を信じる力
「障害があることに対してまだまだポジティブな印象ってないと思うんですよね。障害があることによって、当事者である子どもや家族が何かを諦めてしまうことはすごくもったいないし、捉え方次第で生き方は変わると考えています。かわいそうだとか、弱者という見え方になってしまったとしても、障害があったからこそ気付くことがあると思うんですよね。障害があるという事実が変えられないなら、障害を活かしていく。亮夏が自分自身の体を教材にして研修や講義をするのも、自分の持っている特性、障害を活かすという実例です。自分たちの挑戦だけで終わらせるのではなくて、もっともっといろんな人に広げていきたい。私たちの姿が、「障害」を多面的にとらえてもらうきっかけになったらいいなと思っています」(織恵さん)
とはいえ、まだ課題は山積みだと語る。
「親子で社会的に影響力を与えるのでは“弱い”のだと痛感しています。彼がやっていきたい超実践型研修を一法人の事業として価値を提示するためには、親である私を切り離し、理学療法士や作業療法士の方と一緒に進めていくのが必須だと思っています。2018年からこの研修事業をはじめて今年で6年になりますが、研修によってスタッフがどう変化していくのかというエビデンスのベースを構築しているところです」
こうした活動の中で、再び亮夏さんにハッとさせられたことがあったと織恵さんは語る。
「現在、医療系学生の授業に入らせていただいているのですが、先生から『勉強に身が入らない学生や、様々な事情で将来に希望が持てていない学生もいる。そんな学生たちに何かメッセージを』というご要望がありました。そこで彼にヒアリングをした時、彼がこんなことを言ったんです。
『悩むこともあると思います。遊びや勉強を自分のペースでゆっくりやればいいと思います。そしたらきっと夢が見つかります。できる、あなたならできる。できるって素晴らしい。僕もがんばります。今できることをやろう』
この時、彼のこの言葉に、なるほどなー、つい早く見つけなくちゃって急いでしまうけれど、そっか、ゆっくりでいいんだ。って。
今の彼を見ていると、本当に自分のことを諦めたくないんだなって、誰よりも自分を信じてるんだなって思います。ヘルパーさんとのコミュニケーション一つとっても、自分の言っていることを理解してもらえるまで言い続ける。そういう彼のあり方に教えられることが多くなりました。自分の子であることがすごく誇らしいし、むしろそう思うこと自体がおこがましい気もしてしまいます。『親子だから』ではなく、一人の人間として彼のことを尊敬しています。」(織恵さん)